主に遣わされる
「今、行け。わたしは、あなたをファラオのもとに遣わす。わたしの民、イスラエルの子らをエジプから導き出せ。」
出エジプト記3:10
1.前回のあらすじ
先週から出エジプト記を開いています。神様は、大事な役割のためにイスラエル民族を育てられましたが、この時、彼らはエジプトで奴隷にされていました。彼らを本来の場所に連れ帰り、本当の神様を礼拝する者として回復させるため、生まれたのがモーセでした。モーセは危うく赤ちゃんのうちに殺されるところでしたが、守られ、なんとエジプト王女の子として安全に育てられました。
2.勢い余った行動
モーセが大人になった時、事件が起きます。自分と同じイスラエル人がエジプト人に暴行されているのを見、そのエジプト人を打ち殺し、砂の中に埋めました。ところがその事がバレてしまい、モーセは逃げなければなりませんでした。モーセは何がまずかったのか。それは、モーセがこの事を、自分の考えで勝手にしたという事です。神様が「今それをしろ」と言われたのではない。自分の思い、感情、半端な正義感で勝手にやった。良かれと思ったかも知れませんが。私たちは「果たして、この事は神様の御心にかなっているだろうか」と、何でもよく祈って判断すべきです。そこに神様の助けがあるのか、ないのか。
3.神様から任命される
モーセはミデアンという片田舎に逃れ、結婚し、羊飼いをして40年経ちました。そんなある時、神様に出会い、イスラエルの民を救出する使命を与えられます。前にモーセが自分勝手に行動した時は、神様の助けは無かった。しかし今度は、「わたしは必ず共にいる。これが、わたしのあなたをつかわした印である。」と。モーセは恐れ、「でも」「しかし」「無理です」と、使命から逃げようとします。
4.あなたも
神様はあなたの名前も呼んでおられないでしょうか。勿論、モーセと同じ仕事は頼まれないでしょう。しかしクリスチャンであるなら、全員、何かしら、「わたしはあなたを遣わす」と言われる役割があると思います。モーセがイスラエル人の救いのためにエジプトに遣わされたように、私たちも周りの誰かの救いのために遣わされないといけない!あなたが行かないと、主の元に帰って来れないのです。そして、神様はあなたの働きを全面的にバックアップして下さるのです。12節。