今週の礼拝メッセージ
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「母の祈りと主の御手」
2026.5.10 土屋直子師
聖句:“彼の神、主の御手が彼の上にあったので、王は彼の願いをすべてかなえた。” (エズラ7:6)
1.母と祖母の証し
今日は母の日なので、「私の母の母」の証しをさせて頂きたいと思い思います。私の母は京都の北、日本海に近い峰山町の石材屋の次女です。石材屋と言うのは、お墓を作ったり石碑を作ったり、お寺との繋がりが深い職業です。母が教会に初めて行ったきっかけは祖母でした。二人の娘を教会学校に連れて行ってくれたそうです。当時祖母が27歳、母は5歳。理由は戦後、兄と弟を次々結核で亡くしたからでした。いつしか祖母も姉も教会に行かなくなりましたが、母は洗礼を受け、献身に導かれました。母は祖母の救いを願い、「グッドニュース」などを手紙と一緒に送り続けましたが、キリスト教が入る隙がない様子でした。そんな祖母に大きな転機が訪れました。90歳の頃、峰山教会の姉妹が続けて訪問してくださり、祖母は自分の罪が分かり、イエス様を救い主と信じました!しかし、母の弟である長男は、「母さんが何を信じても構わないが、職業柄、お寺さんの手前、教会の会員になるのは困る。」と言われ、ここで中断してしましました。
2.チャンス再び
祖母が92歳、体も弱り、寝ている事が増えた頃、ある日の訪問で、母が「天国に行くパスポートがあるのよ」と話すと、祖母は「そんな良い物があるの?」。母は、「それはイエス様を信じることよ」と言うと、祖母は「私もそれが欲しいわ」と。そして父が短く福音を話し、素直にイエス様を受け入れてくれました。そして、その場で洗礼式をしました。祖母は「ああ、よかった。安心した。嬉しい。」と言ったそうです。92歳の洗礼式でした。母の50年以上の祈りが聞かれました。
3.主の御手が
エズラ記4:23~24、「彼らは・・・実力をもって彼らの工事をやめさせた」。しかし5:2、「そこで・・・立ち上がり、エルサレムにある神の宮を建て始めた。」また7:6、9、28には「彼の神、主の御手が彼の上にあったので」とあります。神様の目が注がれていて、主の御手が上にある時、中断していたと思える事が動き出すと聖書は語っています。(参照:イザヤ59:1、民数記11:23)この長年の祈りは聞かれるだろうか、愛する家族は救われるだろうか、回復するだろうか、この状況は変えられるだろうか・・・でも、主の御手がいつも私たちの上にある事、その御手は決して短くない事を信じ、更に祈って参りましょう。

2024年 鎌倉深沢教会聖句
見よ、わたしはすぐに来る。
(ヨハネの黙示録 22章7節)
