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​今週の礼拝メッセージ

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20261011
00:00 / 47:08

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「見ないで信じる」

2026.10.11 土屋開夫師

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聖句:“その人はイエスが語ったことばを信じて、帰って行った。” (4:50)

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1.故郷の人たち
 ガリラヤのナザレは、イエス様の育たれた町です。イエス様は故郷について、こう言われました、44節、“預言者は自分の故郷では尊ばれない。”けれども45節を見ますと、故郷の人たちは「イエス様を歓迎した」とあります。“それは、イエスが祭りの間にエルサレムで行ったことを、すべて見ていたからであった。”「うちの村から預言者が出たぞ。サインもらうべ」程度の気持ちです。

2.言葉の約束だけ
 そんな軽薄な歓迎の中、一人の役人がイエス様の所に来ました。それは彼の死にかかっている息子を、イエス様に癒してほしいと、切実に願ったからでした。その役人に、イエス様はこう言われました、48節、“あなたがたは、しるしと不思議を見ないかぎり、決して信じません。”「あなたもこの人たち同様、その目で奇跡を見なければ、信じられないのか」と。役人は49節、“主よ、どうか子どもが死なないうちに、下って来てください。”と頼みましたが、でもイエス様は彼と一緒には行かなかった。ただ、50節、“行きなさい。あなたの息子は治ります。”と、言葉で約束されただけでした。けれども、役人は、“イエスが語ったことばを信じて、帰って行った。”息子がいやされる所を、まだ見た訳ではない。イエス様が実際に何かをして下さるのを見た訳ではない。けれども、治るのだ、という約束の言葉を信じました!

3.まだ見ていないけれど信じる
 「見て信じる信仰」というのは、言い換えれば「見なければ信じられない」という事です。聖書の中にいくら約束の言葉が記されていても、見なければ信じない。実際、神様のなさる事というのは、むしろ分かりにくい事ばかりではないでしょうか?祈りが祈った通りにスグ答えられるとか、分かり易ければ、神様を信じるのに何の苦労も要りませんが、神様の考えというのは私達の考えをはるかに越えているので、神様のなさろうとする事が、私たちにはスグには分からない、むしろ後になって分かるものです。ですから、この「まだ見ていない、理解できていないけれども、しかし神様の約束の言葉は確かだ」と信じる信仰が大事なのです!祈りの結果を知るのは、後になるかも知れません。しかし、祈ったその祈りは、その時、もう聞かれている事を覚えてください!

聖書

2024年 鎌倉深沢教会聖句

 

見よ、わたしはすぐに来る。

(ヨハネの黙示録 22章7節)

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