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十字架は神の愛

私たちすべてのために、ご自分の御子さえも惜しむことなく死に渡された神が、どうして、御子とともにすべてのものを、私たちに恵んでくださらないことがあるでしょうか。

ローマ人への手紙8:32

1.惜しまない愛
 自分の子どもを十字架の苦しみと死に引き渡す親がいるでしょうか。神は「ご自分の御子を惜しまないで、…死に渡された」(32)。これ以上の犠牲はない惜しまない愛です。神は罪人の罪の代償として自分の最愛の子の命を差し出したのです(ヨハネ3:16新P139)。十字架の犠牲による救いは、天地が造られる前からの神の計画であり、永遠に変わることがない神の愛です。


2.とりなす愛
 「父よ、彼らをおゆるしください。彼らは何をしているのか、わからずにいるのです」と主イエスは祈られました(ルカ23:34新P131)。主イエスは、死人の中からよみがえり、昇天され、今も父なる神の右において、流された贖いの血潮を根拠に、とりなしておられるのです。


3.引き離すことができない愛
 現実の生活は苦難を避ける事はできません。主イエスは人としてのあらゆる苦難を経験されました。だからこそ、わたしたちの苦難を理解し、同情し、どんな時でも共にいてくださるのです。惨めな思いになったとしても、先が暗黒だとしても絶望することはありません。主イエスご自身が十字架上で、父なる神を信じて、「父よ、わが霊をみ手にゆだねます」(ルカ23:46新P132)と祈られ、息を引き取られました。主イエスの父なる神への信頼は最期まで変わらず、自分のすべてを父なる神におゆだねになったのです。私たちも主イエスと同じように、引き離されない神の愛にゆだねることができるのです。十字架は、神の愛に満ちあふれています。

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