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時と永遠

生まれるのに時があり、死ぬのに時がある。・・・神のなさることは、すべて時にかなって美しい。神はまた、人の心に永遠を与えられた。

伝道の書3:11

1.誰かを失う寂しさ
 今日は召天者記念礼拝という事で、先に天国に帰られた方々のお写真を並べて、天国に思いを向けつつ礼拝をしています。私事ですが、先日、我が家の文鳥の一羽が寿命で死んでしまったんですね。妻は特に可愛がっていたのでとても悲しんでいました。小さな鳥一羽の存在がなくなっただけでもそれだけ寂しさを感じるなら、ましてや今までずっと一緒に生きてきた家族がいなくなってしまったら、その喪失感はどれ程だろうかと思わされました。


2.「時」
 「伝道の書」は、人間の人生について色々と語られている書物です。3:1、「すべてのことには定まった時期があり、天の下のすべての営みに時がある。生れるのに時があり、死ぬのに時がある。」この世の事には、全て「時」があるのだと。そして「時」というものは、神様が天地創造の際に造られたもので、「時」は神様の手の中にあるのです。私たち人間が「時」をコントロールする事は出来ません。「生まれるのに時があり、死ぬのに時がある」とあるように、生き死については特にそう思わされます。


3.「永遠」
 けれども、それだけで「伝道の書」の話は終わりではないのです!「神はまた、人の心に永遠を与えられた。(永遠を思う思いを授けられた。口語訳)」これがスゴイところです!「人は、神が行うみわざの始まりから終わりまでを見極めることができない。」とありますから、永遠というものが実際にどういうものかは分からない天国という場所が、どういう世界なのか、行ってみないと分からない。けれども確かに神様は、人間の心に「永遠」を思う思いを与えられた!これはどういう事か、つまり確かに永遠の世界はある!人間の命は、この地上だけの何十年だけで終わりという、はかないものでは決してない!という事です。この世での別れは、本当に寂しいものです。でも「無」になったのではなく、一足先に「天国」というゴールに行ったのです。私たちもそこに向かっています。人は、イエス様にあって「永遠」を生きる存在なのです。

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