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祈りの力

モーセが手を高く上げているときは、イスラエルが優勢になり、手を下ろすとアマレクが優勢になった。

出エジプト記17:11

1.マナは「聖書」
 神様の力によってイスラエルの民は、海の中を歩いてエジプトを脱出しました。そして故郷カナンの地を目指す旅が始まったけれども、水がない、食料が無い。けれども、神様はちゃんと必要なものを与えて下さるお方。しばらくの忍耐の後、水と、そして不思議な食べ物「マナ」を毎朝与えられました。このマナは「神様のみことば」を象徴しています。私たちは聖書の言葉で毎日、魂を養われます。


2.祈り
 クリスチャンが生きていくのに必要な二本柱が、この「聖書」と「祈り」です!最近、再確認した事は、やはり神様は必ず祈りに答えてくださるという事です。但し時間がかかるものもあります。私の経験では、小さな祈りはスグ応えられる。でも深刻な祈りは、スグには答えられない。けれども、半年や1年経って、振り返ってみると「ああ、神様ちゃんと答えて下さったなあ」という事がよくあります。そして、もっと重要な祈りは、更に時間がかかる場合もあるでしょう。しかし、祈りの手を下ろさずにいれば、何の答えもないという事は決してありません。


3.勝つために
 モーセの祈りも、一回祈ってパッと答えられた訳ではない。祈り続けたのです!イスラエルの民は、最初の戦いを経験しました。私たちも「信仰の戦い」を経験しなければなりません。戦う相手は人間ではなく、悪魔です。悪魔は、私たちが信仰を失うように、攻撃やワナをしかけてきます。クリスチャンが信仰的に勝つには祈らねばならないし、まして教会全体が守られるためには、教会のお互いが心を合わせて祈ることが絶対に必要です!モーセは一人で祈っていましたが、手が疲れてきました。牧師は勿論、信徒のために祈ります。しかし一人で祈り続けるというのは、とても精神エネルギーを消耗するのです。けれどもモーセの手をアロンとフルが支えました。それによって神の民は戦いに勝つ事ができたのです。それぞれの人が、試練を乗り越え、戦いの勝利するために「とりなしの祈り」が必要なのです。また多くの人が祈りに参加して、教会を支える必要があるのです。共に祈り、共に生ける神様の勝利を見せて頂きましょう!

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