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神われらと共に

旅路にある間、イスラエルの全家の前には、昼は主の雲が幕屋の上に、夜は雲の中に火があった。

出エジプト記40:38

1.ゆるしと再契約
 今日は出エジプト記の最後の部分です。振り返りますと、エジプトで長年奴隷として苦しめられてきた「神の民」を、神様はモーセを遣わして救い出された。神様の偉大な救いを体験した彼らですから、神様との契約もしっかり守るだろうと思いきや、舌の根もかわかないうちに、もう偶像礼拝をしてしまった。そんな民は見捨てられて当然です。ところがモーセのとりなしの祈りによって、神様は彼らをゆるされた。そして砕かれた十戒の板(契約書)をもう一度つくらせるのです!神様は「赦しの神」です。いつも人間は神様を裏切ります。けれども神様は、一度契約をした者を見捨てる事がお出来にならない。34:4~7。


2.見捨てない神様
 神様は一時は、「お前たちとは一緒に行かない」と言われたけれども、結局、幕屋も完成しました。幕屋というのは、神様が民と一緒にいて下さるための「住まい」です。その幕屋が完成したという事は、これからも神様は、このうなじの堅い、強情な民、不信仰な民、文句とつぶやきばかりのこの民を、見捨てず、これからもずっと一緒にいて下さる、という事です!「旅路にある間、イスラエルの全家の前には、昼は主の雲が幕屋の上に、夜は雲の中に火があった。」:38 私たちの人生も同じです。人生という荒野を旅する間、どこに行ったとしても、いつも、神様は私たちと共におられる!今日の題につけた通り、<神われらと共に>!決して、人生のどの場面でも、見捨てられる事は無い!私たちの人生の旅を、最後までずーっと導いて下さる。


3.天国に着くまで
 彼らのゴールは、故郷カナンの地でした。私たちにとってのゴール、人生の旅の終着点、それは天国です!ヨハネの黙示録を開いて下さい。21章1~4節。ご存知の通り、これは新天新地、天国の事が記された場面です。「見よ、神の幕屋が人々とともにある。神は人々とともに住み、人々は神の民となる。神ご自身が彼らの神として、ともにおられる。」ゴールに辿り着くまで、三位一体の神様は、私たちのこの世の旅の間も、共にいて守られ、天国に行っては、尚の事、共にいて下さるという事です!

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