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雪よりも白く

たとえ、あなたがたの罪が緋のように赤くても、雪のように白くなる。たとえ、紅のように赤くても、羊の毛のようになる。

イザヤ1:18

1.イザヤの時代
 今日からアドベント(待降節)に入ります。この時期にはよくイザヤ書が開かれます。なぜなら、イザヤ書は聖書の預言書の中でも、救い主イエス様の事について特にハッキリと伝えているからです。イザヤのいた時代は、イスラエルが北と南に分裂していて、北は偶像礼拝、南も形式的な礼拝へと堕落してしまい、国の滅亡も近いような時代でした。


2.罪とは何か
 神様はイスラエルの民を長年、愛をもって養い育てたのに、人々は親たる神様に背き続けてきました。「罪」とは何でしょうか?心情的な言い方をするなら、「誰かを悲しませる事」だと思います。愛する我が子に裏切られ続ける、これほど悲しい事があるでしょうか。私たちは「自分がどう生きようと自分の勝手だ」と思うかも知れません。しかし、肉親以上に私たちを愛している、神様を悲しませるというのは、最も大きな親不孝、最も大きな罪だと言えるでしょう。


3.判決!
 その神様は18節で「さあ、来たれ。論じ合おう」と言われました。これは裁判の時、「さあ判決を下そう」という意味です。もし私たちが神様の前に立たされて、「あなたに判決を言い渡す」と言われたら、「有罪!死刑!永遠の地獄」と言われても文句は言えないでしょう。ところが、その判決は、「たとえ、あなたがたの罪が緋のように赤くても、雪のように白くなる。たとえ、紅のように赤くても、羊の毛のようになる。」という、無罪、ゆるしの判決だと言うのです!


4.イエス様による救いの奇跡
 私たちの心の罪、その本質、その実態は、何重にもこびりついた汚れの様なものです。簡単に取れる筈も消える筈もありません。皆さんは自分の罪に悩み苦しんだ事があるでしょうか?ところがそれを真っ白にするというのが、神様の救いの奇跡です!その奇跡は、イザヤの時代から約700年後に来られた、救い主イエス様の十字架と復活によって与えられるのです!救い主のご降誕を改めて感謝しましょう!

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