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あなたを本来の姿に

「わたしの家は、あらゆる民の祈りの家と呼ばれる」。

マルコ11:17

1.実のないいちじく
 今日の場面で、イエス様は「お腹減ったなあ」と思っていちじくの木を見られた。ところが葉ばかり立派だったけども「実」はなかった。そこで「今後いつまでも、だれもおまえの実を食べることがないように」と言われた。次の日、そのいちじくの木は根元から枯れていました。いちじくの木にしろ、ブドウの木にしろ、本来それぞれのフルーツを結んでこそ意味があります。いくら見栄えが立派でも「実」のない木は、当時のイスラエルの人々の信仰の状態を象徴していました。


2.宮をきよめる
 15節からは「宮きよめ」と言われる箇所です。「宮」すなわち神殿という場所は、本来、真の神様を礼拝する場所であり、またその神殿の庭は、祈りを献げるための場所です。ところが神殿の庭で商売する人が大勢いました。いけにえ用の動物を売ったり、献金のために両替をして、その手数料を取ったり。いつの間にかそんな人が増えた。けれども隣りで商売の声が聞こえるような場所でとても心静めてお祈りなんて出来ません。もはや神殿は、礼拝や祈りの場所ではなくなってしまった。教会も気をつけなければ本来の姿を失います。良かれと思ってする事であったとしても「教会は祈りの家である、礼拝の場所である」という本来の状態から外れてはいけない。もっともな理由があれば何をしてもいい、という訳ではありません。


3.あなたの心は
 イエス様は、神殿に集まる人々の心の状態を見て、悲しみと憤りを感じられた。そして商売人たちを神殿から追い出されました。それは、本来のあるべき姿から大きくずれてしまった神殿、イヤ、人々の「心」・・・神様を礼拝すべき本来の状態ではなく、商売の事、仕事の事、他の事ばかりが心と頭を支配している。心の中が「強盗の巣」になっている!その事に悲しみと怒りを覚えられ、それらのものを追い出さずにはおられなかったのです。ところで、いちじくやブドウの木が「実」を結ぶために造られたのなら、人間は何のために、何の「実」を結ぶために造られたのでしょうか?Ⅰコリント3:16「あなたがたは、自分が神の宮であり、神の御霊が自分のうちに住んでおられることを知らないのですか」。あなたの心には何が宿っていますか?宮きよめをして頂く必要がありますか?

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