ゆるされたように、ゆるす
私を迎えるようにオネシモを迎えてください。
ピレモン:17
1.奴隷オネシモの罪と救い
この手紙は、パウロがピレモンという人に宛てた個人的な手紙です。ピレモンはかつてパウロに導かれてクリスチャンになりました。ですからパウロは恩師です。このピレモンは裕福で、大きい家を教会の集会所としても提供していた様です。このピレモンの家に「オネシモ」という名の奴隷がいました。ところがある時、オネシモが主人であるピレモンの財産を盗んで逃げました。自由が欲しかったのでしょうか。けれども、心には後悔の思いがあったでしょう。そして獄中に捕らえられていたパウロの元を訪ね、罪を悔い改め、イエス様を信じたのです。
2.とりなしの手紙
オネシモは出来る事なら、もう一度ピレモンさんの所に戻りたい。でも、赦してもらえるだろうか…。そこでパウロがピレモンに宛ててこの手紙を書いた訳です。「オネシモは確かに、以前は悪い者であった。しかし、今はイエス様によって生まれ変わった。私と同じ、そしてあなたと同じ、神の兄弟なのだ」と。“もはや奴隷としてではなく、奴隷以上の者、愛する兄弟として”受入れて欲しい、と。
3.パウロも
この手紙を書きながら、パウロは自分の事を思い返したでしょう。かつてパウロはこのオネシモどころではない、悪魔の様な人間でした。クリスチャンを迫害し、女性だろうが子どもであろうが、捕まえて酷い目に会わせる人でした。ところがそんなパウロが、イエス様の光に打たれ、目からウロコが落ち、全く生まれ変わってクリスチャンになった!ところが最初、教会の皆は信じられず、また赦せず、パウロを受け入れられませんでした。けれども寛容なバルナバの導きで、教会の皆はパウロを受け入れました。過去は赦し、神の家族として受入れたのです。
4.ゆるされたように
題に<ゆるされたように、ゆるす>とつけました。皆さんにとって「ゆるせない」「ゆるしがたい」人がいるでしょうか?案外、身近な家族がゆるせない。いえ、「自分をゆるせない」という人もいるでしょう。パウロもそうでした。けれどもイエス様に「そのあなたの罪も、わたしはもう十字架の上で引き受けた」と示され、赦された喜びに満たされました。そのように自分が莫大な罪を赦された事を知る人は、人を赦す事ができるのです。