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イエスを呼び求める者

「ダビデの子のイエス様、私をあわれんでください」

マルコ10:47

1.人はみな盲人
 バルティマイは盲人でした。今の様に盲学校や仕事先もない。それでも愛情深い家族がいれば幸せですが、そんな家族もいなかったようです。彼の心はとても孤独だった。誰も本気で相手にしてくれる人はいない。目も心もいつも真っ暗な世界に独りぼっち。「誰かこんな私を助けて欲しい。でも誰が救ってくれるだろう?」彼に限らず、人間はみな心は盲目なのではないでしょうか?見えるのは目先の光景だけ。もっと大事なもの、本当のこと、「真理」が見えない。そういう暗闇の中を明かりも持たず、孤独や不安を抱えて生きている。心の目が開かれるまでは。


2.主を叫び求めた
 けれどもそのバルティマイさんの近くにイエス様が来られた!イエス様は多くの人の目の前に来られるのです。でも求めなかったら、イエス様の名を呼び止めなかったらチャンスを逃します!このバルティマイはどうしたでしょう?イエス様を叫んで呼んだ。そしてその叫びがイエス様に届きました。47~49節。イエス様は待っておられるんです!ご自分の名前を叫び求められるのを。そして、その人の心の求めに答えようとされるのです!「わたしに何をしてほしいのですか」・・・「目が見えるようにしてください」。求めたのは、この目が見える事。でもイエス様はそれ以上の事をして下さいます。暗闇だった目が開かれ、光と共に目に入ってきたもの、それはイエス様でした!「すると、すぐに彼は見えるようになり、道を進むイエスについて行った。」たとえ目が見えるようになっても、その後、どう生きていったらいいか分らなければ、心は相変わらず盲目です。けれども何より彼の心の目が開かれた!イエス様の事が見えた!救い主だ!私に答えてくれた、愛してくれた、癒してくれた、私の人生を闇から光にして下った!このイエス様に従っていけばいいんだ!と。


3.救われるのは
 私もかつてどう生きていいか分かりませんでした。でも心の中で叫び続けました「イエスよ、私をあわれんでください」。皆、中々この言葉が言えないのです。それこそ乞食になるくらい自分を低くしなければ、「あわれんで」とは言えません。でも、イスラエルに多くの人がいても、救われたのはイエス様を呼び求めた人だけでした。世界に70億人いても、救われるのは主の名を呼び求める人だけです!

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