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主についていく新しい人生

わたしについて来なさい。人間をとる漁師にしてあげよう。

マルコ1:17

1.このままの人生でいいのか?
 今年からマルコの福音書を開いています。前回は1章前半で、イエス様がどんなお方か、紹介されていました。一言で言うなら「イエス様は正真正銘の神の子で、神の国に私たちを招くために、神の国から遣わされたお方」という事です。その第一声は、「時が満ち、神の国が近づいた。悔い改めて福音を信じなさい。」さて今日の箇所では、イエス様は弟子を探し求めに行かれました。ガリラヤ湖に行かれると、そこにはシモンとアンデレという兄弟、そしてヤコブとヨハネという兄弟がいまして、皆、魚をとる漁師でした。彼らはこの漁師町で生まれ育ったので当然のように漁師になったのでしょう。彼らにとっては漁師の仕事が人生の全て。けれども恐らく、彼らはそういう人生に満たされないものを感じてたのではないでしょうか。どんな仕事もそれぞれ大事な、社会の中で必要な仕事です。やりがいもあるでしょう。けれども、もしそれが人生にとって全てであるとしたら、それで心は満たされるのでしょうか?皆さんの人生にとっては、何が全てでしょうか?何十年かの人生において、あなたは何を追い求めて生きるのでしょうか?


2.わたしについて来なさい
 彼らもずっと考えてたでしょう「オレ達はずっとこういう人生なんだろうか?」実は彼らがイエス様に出会ったのはこの時が初めてではなく、他の福音書を見ると既に何回か出会っています。ですから最初にイエス様に出会った頃から、ずっと考えていたのでしょう。「このイエス様はただの人ではない。本当の救い主かも知れない。この方に、オレの人生の全てをかけてもいいだろうか・・・でも・・・」そんな彼らに、イエス様は改めて招きの声をかけられました。「わたしについて来なさい。人間をとる漁師にしてあげよう。」漁師として生きてきた彼らの事を、イエス様はよーく知っているのです。その心の中も。その上で彼らを招かれたのです。人間、決断する時は二つ返事です。迷いません。18節、「すると、彼らはすぐに網を捨てて、イエスに従った。」今まで自分にとって人生の全てだと思っていたものを捨てて、イエス様に従った。イエス様についていくという事は、人生の全てをかける価値があると悟ったのでしょう。イエス様についていく時、その人の本来の生き方が始まるのです!

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