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全焼のささげ物・・・主イエスの犠牲

その全焼のささげ物の頭に手を置く。それがその人のための宥めとなり、 彼は受け入れられる。

レビ記1:4

1.旧約聖書もイエスを示す
 9月からレビ記を開きます。聖書を最初から通読しようとする人は、このレビ記で挫けてしまいます。意味が分からないし、「今の自分と何の関係があるだろう」と思ってしまうからでしょう。けれども、実はレビ記もイエス様の事を示しているのです!新約は勿論、旧約聖書も結局は、イエス様の事を指差しているのです。


2.神様の前に出るために
 前回、出エジプト記の最後の部分で、神様は「幕屋」を作らせました。幕屋は一言で言うなら神様の住まい。勿論、神様の住まいは天国ですけども、この幕屋によって地上にもいてくださる、イスラエルの民と一緒にいるための神様の家です。神様の家ですから、そこに住まわれる神様に向かって礼拝するところです。けれども罪人である私たちが「神様に近づく」なんて事は出来ません。神様は聖なるお方ですから。でも神様は、神様に近づく方法、礼拝する方法を教えて下さいました。それは、神様に牛や羊の「いけにえ」を献げる、という方法です。それは五種類あって、①「全焼のささげ物(燔祭)」②「穀物のささげ物(素祭)」③「交わりのいけにえ(酬恩祭)」④「罪のきよめのささげ物(罪祭)」⑤「代償のささげ物(愆祭)」。これらは、全てイエス様の事を表しているのです!実はこの動物の犠牲が、「神様に罪人が近づくためには身代わりの命が必要だ。その本体がイエスなのだ」という事を教えている訳です。


3.全焼のささげ物になられたイエス
 今回は一つ目の「全焼のささげ物」についてですが、文字通り犠牲の動物を完全に焼きました。これはイエス様が父なる神様に、完全に自分を献げられた事を表しています!頭も内臓も足も全部焼く。イエス様は命まで全部献げました。十字架で最後にこう言われました「父よ、わたしの霊をあなたの御手にゆだねます。」4節。その時、動物の頭に手を置きました。これは、「この動物は私の罪の身代わりです。この動物と私は一体です」という印です。そうする事によって「彼は受け入れられる。」私たちもイエス様を信じて「このイエス様は私の罪の身代わりに十字架で死んで下さったのです!私はその事を信じます!私はイエス様と一体です!」そのように信仰告白するなら、イエス様の犠牲によって救われるのです!

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