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小犬と言われたら…

主よ。食卓の下の小犬でも、子どもたちのパン屑はいただきます。

マルコ7:28

1.心を試される
 今日の場面では、あるギリシャ人のお母さんが「主よ、助けて下さい」とひれ伏してお願いしました。幼い娘が悪霊に取り付かれて苦しんでいたのです。ところが、イエス様の返事は冷たく思える言葉でした。「子どもたちのパンを取り上げて、小犬に投げてやるのは良くないことです。」イエス様は順番としては、まず先にイスラエル人を教えなければなりませんでした。でもイエス様がこう言われた理由は、この女性の心を試されたのです。神の前にへりくだるか、どうかを。


2.人間のプライド
 「あなたは小犬ではないか?」また「あなたは無力な者ではないか?」また「あなたは罪深い者ではないか?」そう言われた時、どう思いますか?「その通りです」と言えるでしょうか。人間、プライドがありますし、ちょっとでも低く扱われたら腹が立つでしょう。そこなんですね!なかなかイエス様を救い主として受け入れられない、あるいはイエス様の言葉を受け入れられない。プライド、強情さ。これが大きな障害、心の壁となります。人間というのは、自分で思っている以上にプライドが高いと思います。けれどもイエス様の恵みを受けとるためには、神様の前に「へりくだる」という事がどうしても必要なのです。Ⅰペテロ5:5「神は高ぶる者をしりぞけ、へりくだる者に恵みを賜う。」(口語訳)


3.へりくだる者に
 口語訳聖書を見るとこの女性は「主よ、お言葉どおりです。」とまず答えました。私たちは皆、本来、神様の恵みを受けれる立場では無いのです。神様に背を向けて生きてきた罪人なのですから。この女性はそんな自分の立場をまず認めました。けれども、その上で「主よ。食卓の下の小犬でも、子ども達のパン屑は頂きます。」パン屑でも、主の恵みの残りでも、かけらでも与えて下さい!、と。このへりくだる思い、すがる思い。そのように、主の前に自分の小ささ、無力さ、罪深さを認め、自分を低くし、「だからこそ主よ、あわれんください」と求める時、主は恵みを注いでくださるのです!

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