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必至の求め

あなたの信仰があなたを救ったのです。安心して行きなさい。

マルコ5:34

1.ヨロイを外して
 本当は「必死」と書くべきですが、信仰によって「必ず至る」という意味です。21~24節。ヤイロという会堂司がイエス様の足元にひれ伏し、しきりに願った。小さな娘が死にかけていたからです。恥も外聞も捨てて求めています。人間はある意味、恰好つけて生きています。誰も恰好悪く見せたくない。なるべく強がって、やせ我慢して、見栄を張って。そうやって生きているのが人間かも知れません。けれども、神様はそういう人間の心のヨロイをはがしたいと思っておられます。人間は本当に切羽詰った時、ワラにもすがる思いで神様を求めるのかも知れません。そしてそれは神様が救いの業をなさるチャンスなのです!祈りは聞かれました。


2.諦めない女性
 もう一人、イエス様に必至に癒しを求める人がいました。重い婦人病を長年患い心身ともに疲れ切っていました。けれども、この女性は希望は捨てていなかった!「うしろからイエスの衣に触れた。」普通には人前に出れない、だからと言って諦める訳にいかない。イエス様と何らかの接触をとりたい。そこでこっそり近づき、けれどもしっかり、衣に触った。現代でも、救いを求めている人は大勢いても、イエス様に出会うためには、ある意味たくさんのハードルを乗り越えないとならない面があると思います。それで諦めてしまう人も多いでしょう。だから手を引いてあげる必要もあると思います。この女性は「重たい体」を引きずり、「人ごみ」の中に出て行き、「なんとしても癒して欲しい、救って欲しい、イエスというお方にはそれが出来るかも知れない、私を救ってくれるかも知れない」という期待、希望、これが信仰の始めです。


3.イエス様を主人とするなら
 イエス様は「だれがさわったのかを知ろうとされた。」ご利益信仰と違い、ただ治ればいいのではない。一番大事な事は「イエス様と自分の関係」をもつこと!「娘よ、あなたの信仰があなたを救ったのです。安心して行きなさい。」なぜ安心なのですか?これからもずっとイエス様が救い主だからです!どうぞ、赤ちゃんが全力で泣くように、恰好つけず、やせ我慢せず、必死、必至に主に求めましょう!諦めず、希望を捨てず、食らいついて!

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