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捨てられる苦しみ

わが神、わが神、どうしてわたしをお見捨てになったのですか。

マルコ15:34

1.弟子に捨てられる
 今週は受難週です。題に「捨てられる苦しみ」と付けました。イエス様の苦しみは肉体的にも物凄い苦しみを味合われましたが、むしろ精神的な苦しみ、悲しみが大きかったと思います。それは「捨てられる苦しみ」。まず、愛する弟子の一人、ユダに裏切られた事も大きな悲しみだったと思います。14:43~46。信頼していた人に裏切られる苦しみ。あんなに親しかったのにある時から全く離れて行ってしまう。その心の痛みに耐えられるでしょうか?そして50節で、愛する弟子たち全員が、イエス様を見捨てて逃げ去りました。誰一人、お供しませんでした。イエス様は、一番苦しい時に一緒にいてくれる友達が一人もいないのです。


2.人々に捨てられる
 そして次に、人々から捨てられました。14:61~65。15:12~20。イエス様は私たちを愛するために、天から来て下さったのです。ところが人々の出した答えは、「十字架にかかって死ね!」「死ね」というのは最大の憎しみの言葉、最大のイジメの言葉です。イエス様は、愛する人間たちから捨てられたのです。


3.父なる神に捨てられる
 でも、どんなに人から拒絶されても、今までは耐える事が出来ました。なぜなら父なる神様から最大の愛で愛されていたからです。それがよりどころでした。けれどもこの時、イエス様はその父なる神様に捨てられなければならなかったのです。「父なる神様から捨てられる」という事が、私たちの罪の罰を身代わりに受ける、という事だからです。私たちが本来、受けなければならない罪の罰というのは、父なる神様から完全に捨てられるという事です!それが魂の死です。けれどもこの時、38節を見ると、「神殿の幕が上から下まで真二つに裂けた」とあります。これは今まで、神様と人間の間を隔てていたものがなくなったという事の象徴です!私たちの罪の罰をイエス様が身代わりに受けて下さったので、神様と私たちの間を隔てる幕は無くなった!この身代わりのイエス様を信じるならば、私たちは永久に父なる神様から捨てられる事は無いのです!

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