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無駄?

なぜ困らせるのですか。わたしのために、良いことをしてくれたのです。

マルコ14:6

1.主の思いを誰が知っているか
 福音書を読みますと、イエス様の視点と人々の視点が全く違う事に気づきます。Ⅰサムエル記16:7に「人はうわべを見るが、主は心を見る。」とあります。でも中には、イエス様の心・気持ちを、少しでも理解してる人もいました。この場面は、イエス様が十字架に架かられる時が間近に迫っている時でした。イエス様は、私たち全ての人間の身代わりに罪の罰を受けなければならない。でもその使命を果たすには、物凄い覚悟と決心が必要でした。イエス様の心の中、その重荷は到底、誰にも理解できないでしょう。でも、ほんの少しでも理解している人がいた。それがベタニヤのマリヤです。


2.自分のもつ全てを
 マリヤはイエス様に、非常に高価な香油を、全部注ぎました。すると弟子たちが怒って言いました、「何のために、香油をこんなに無駄にしたのか」と。すぐお金の計算をする人はそう思うでしょう。でも、その本人してみれば、そうするだけの価値があると思うからこそ、全財産をかけたり、全人生をかけたりするのです。マリヤにとっては、全然もったいなく無かったのです。だって、イエス様はこれから自分のために、命を与えて下さろうとしているのです!そのイエス様に、何を献げるのを惜しむのでしょうか?


3.無駄?
 確かに、イエス様の愛の価値が分からないうちは惜しむのです。イエス様を礼拝する時間が惜しい。その体力、労力も惜しい。献金は痛い出費だ、としか思えない。でも、神様のため、イエス様のために人生を使うことは無駄ではありません。むしろ最も価値のある、意味のある、命のある、永遠に残る事です。逆にそれ以外に使う方が、実は無駄と言えるでしょう。そういう意味では結構、私たちは時間にしろ、何にしろ、人生の無駄遣いをしているかも知れません。人生はこの高価な一瓶の香油のようなものです。その限られた油を何の上に注ぎかけるのでしょうか?マリヤは主を愛して、出来る限りの事をしたのです!そして最後に何より大事な事は、イエス様も私たちのために、十字架にかかる事を、血を注ぐ事を、命を与える事を、無駄とは思われなかったのです!

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