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穀物のささげ物・・・人となられた主

人が主に穀物のささげ物を献げるとき、そのささげ物は小麦粉でなければならない。その上に油を注ぎ、その上に乳香を添え

レビ記2:1

1.前回
 「幕屋」は、神様がイスラエルの民と一緒にいるための神様の住まいです。けれども罪人である私たちは、聖い神様に近づく事は出来ません。そこで神様は、その方法を教えて下さいました。それは神様にいけにえを献げる、という方法です。そのささげ物は五種類ありましたが、これらの供え物は、全て、イエス様の事を表しています!(前回は一つ目の「全焼のささげ物」についてお話しました。)


2.穀物のささげ物の意味
 今日は二つ目の「穀物のささげ物」についてです。これは小麦粉です。小麦粉はご存知の様に、パンなどの原料です。イエス様は「最後の晩餐」の時に、パンを裂いて弟子たちに与えて「これはわたしのからだです」と言われましたつまりパンというのは、イエス様が肉体をとってこの世に来られた事、つまり神の御子でありながら、私たちと同じ肉体を持つ人間となって下さった事を、表しています。この「穀物のささげ物」は、イエス様がそのように人間としての生涯を歩んで下さった事を表しているのです!


3.罪なき本来の「人」として
 そして、注意深く読みますと、この小麦粉に色々なものが加えられました。まず①「油」です。油は「聖霊なる神様」の事を指します。イエス様の生涯は、私たちのように自己中心の歩みでなく、聖霊に導かれた生涯であったのです。次に②「乳香」を加えました。イエス様の人間としての生涯が、良い香りのする様な、人々への愛情に満ちた生涯であった事を示していると思います。さて、逆に加えてはならない物が、「パン種」と「蜜」。パン種は「罪」を表し、甘い蜜は「欲」を表します。「罪と欲」は、穀物のささげ物に入れない。なぜなら、イエス様の生涯は、罪や欲望の無い、全く聖い生涯であったからです。そして最後に③「塩」を加えた。塩は「信仰」を表します。イエス様は徹頭徹尾、父なる神様に信頼していました!神様と私たちをつなげるもの、それが信仰!「あなたがたは地の塩です。」(マタイ5:13)このようにイエス様は、人間として完全な生涯を歩まれ、本来人間が、神様の前にどのように生きるべきか、生き方の手本、信仰の道を示して下さったのです!

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