自分の罪を知り、十字架を仰ぐ
ヒソプで私の罪を除いてください。そうすれば私はきよくなります。 私を洗ってください。そうすれば 私は雪よりも白くなります。
詩篇51:7
1.聖別された私たち
前回は11章から、「食べてよい聖い動物」と「食べてはいけない汚れた動物」を区別する事を通して、私たちも日々「私は神の民、聖別された者」という意識で、この世から自分を区別・聖別して生きるべき事を学びました。皆さん、この一週間はどうだったでしょうか? クリスチャンになってからこそ、悪魔は前にもまして私たちを罪に誘惑してきます。何とか堕落させようと。私たちは前よりもっと「罪」を警戒し、意識して、そこから遠ざからなければなりません。
2.二羽の小鳥
13章には「ツァラアト」という当時の重い病気の事が記されています。最初は小さくても広がり、深くなる事から、「罪」を象徴する病気として扱われています。さて、この「ツァラアト」が治った時、「聖くなった」と認められるための儀式がありました。二羽の小鳥を連れてきて、一羽を殺して血を器の中に入れる。その血を「ヒソプ」という植物を使って、「ツァラアト」が治った人に七回振りかけました。その後、もう一羽の生きてる小鳥を、死んだ鳥の赤い血に浸してから、空に放してやった。その後も色々ありますが、そうする事によって、この「ツァラアト」の人が治った事の印としたのです。なぜ、こんな儀式な事をするのか?勿論、ここにも象徴的な意味があります!この二羽の鳥の死ぬ方は、イエス様の十字架の死を表し、血を塗られた後、空に放たれる小鳥はイエス様の復活を表しています!
3.罪を除いてください
ダビデは詩篇51篇で、自分の罪、心の汚さを深く心に刺された時の事をうたっています。レビ記の通り、人は産まれる時から罪をもって産まれます。そしてその罪の性質は表面的にごまかせても、神様は隠れた心の中に真実を求められる。そして心が照らされて自分でもその罪が分かった時、「私を赦して下さい。清めて下さい」と祈らずにおれなくなります。「ヒソプで私の罪を除いてください」とは、自分の罪を「ツァラアト」に見立てて祈っているのです。一切の罪を赦して下さるイエス様の十字架に本当に感謝し、心をきよめて頂くように祈りましょう!