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自分の負うべき十字架

だれでもわたしに従って来たければ、自分を捨て、自分の十字架を負って、わたしに従ってきなさい。

マルコ8:34

1.一人の恩師
 4月は入園、入学の時期です。私も神学校に入学した時の事と思い出深い先生の事を少しお話します。東京生れの私は非常に心細い思いで神戸の神学校に入学しました。けれども一年目の奉仕教会の先生が高松隆二という先生で、東京ご出身の方で、母教会も私の実家の近くという事で、とても親しみを覚えました。卒業後、時々お会いしてもお元気そうに見えました。ところが61歳で急に天に召されました。実は心臓にだいぶ負担が来ていたそうです。日本伝道隊の責任を長年負って来られましたが、ビッグイベントがありました。伝道隊創立100周年大会があり、先生はその実行委員長でした。良い大会となるように、無事成功するようにという、切なる願いだった事でしょう。そして、その大会で「殉教」をテーマにしたメッセージを語られ、役目を無事果たされました。奥様と「今日はいい大会だったな」と話されたその晩、心筋梗塞で召されたのです。自分の使命を全うし、役割を果たし終えた途端、天国に帰って行かれました!教会を愛し、伝道隊を愛して、そのために自分の命を、自分の人生を献げられた。


2.自分の負うべき十字架
 今日の聖書の箇所をご覧下さい。イエス様は私たちの救いのために、身代わりに罪の罰を受けて死ぬという、十字架を負って下さいました。この十字架は、神の御子イエスにしか負えない十字架です。けれどもイエス様に救われた私たちにも自分の負うべき十字架があるのです。その人の負うべき、果たすべき使命が。「自分を捨て」というのは、「あーしたい、こーしたい」という自分の願い、夢、人生の計画を捨て、それよりもイエス様の願い・御心・導きに従っていく、という事です。自分の生きたい様に生きている人は、真の命・永遠の命を失う。しかしイエス様のため、福音のために自分の命と人生を使うものは永遠の命を獲得する。


3.どう生きるか
 新しい4月が始まりました。人生、ただ長く生きる事だけが目的ではない。幸せではない。生かされている「命」を使う、人生を使う。「自分の十字架は何だろう?自分の生かされている使命は何だろう?」そう祈りながら、考えながら、自分の十字架を負ってイエス様に従っていく者でありましょう!

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