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誰が救われる事ができるだろう

イエスは彼らをじっと見て言われた。「それは人にはできないことです。しかし、神は違います。神にはどんなことでもできるのです。

マルコ10:27

1.自信ある若者
 今日の箇所は、あるお金持の青年がイエス様の元に来て、救いの道について質問した場面です。この青年は色んな面で自分に自信があったのではないでしょうか。まず「若さ」を持っている。そして「お金持ち」。そして道徳的にも真面目で品行方正。「十戒」の戒めは子どもの頃から全部守って来たと。ですから「ボクは永遠の命にあと一歩だろう。あと一歩、何が必要だろう?」そう思って質問したのです。


2.財産という妨げ
 でも彼には、自分を救いから遠ざける大きな障壁がありました。それは、財産に対する強い執着でした。彼にとって財産は一番大事なもの、価値あるもの、誇り。お金に限りません、人間が何かを持っている(才能、美貌、資格、人生経験)という事が「自分の誇り」となり「自分の価値」だと思っている。だからそれを捨てたら、自分が低く、弱く、裸になってしまう。彼にとってはその財産が、人生で最も頼れる、神様だったのかも知れません。結局それが彼の価値観でした。イエス様は、彼に「そのあなたの執着している、握っているものを手離して、神であり救い主であるわたしに従ってきなさい」と、愛をもって彼に語られました。でも残念ながら、この時の彼には(まだ)それが出来ませんでした。自分の心の中で一番執着しているもの、自分にとっての財産を握っているがために、本当に大切なもの、永遠に価値あるものが分からない、見えない、得られない。


3.神にはできる
 確かに一人の人が、自分の人生をイエス様にお任せし、自分の主人として従って行く、そういう人生に入る、という事は、やはり物凄い決断がいる、抵抗がある。自分には出来ないのです。今まで自分が大事だと思ってきた、握ってきた価値観を捨てて、キリストを信じる価値観に変わる事など、自分には出来ないのです。それくらい人間の心というものは、最も固くて重たいものです。大人になる程。しかし神にはできる!その人の心を変えることが!今、クリスチャンである人たちも、前はそうでなかった。自分でも不思議でしょう。それは自分で変わったんじゃない、変えられたのです!救われたのです!「難しい」けれど、不可能とは言われなかった。神には出来るからです。愛する方々の救いを祈りましょう!

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