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マナか、肉か

夜、宿営に露が降りるとき、マナもそれと一緒に降りて来た。

民数記11:9

1.民の不平、不満
 ここまでをおさらいしますと、民数記は「信仰の旅」。その真ん中には、いつも神様が共にいて下さる。そして、どこに行くか、どこに留まるか、そのタイミングも全て、神様の雲が最善の導きをしてくださる、という事でした。そう考えると、私たちの人生という旅は本来、非常に安心という事ですよね!だって、「神様」という最高のナビゲーターが共にいて人生を導いてくださる訳ですから。ところが、私たちもなかなか神様を信頼しきれていなかったり、不平不満も出てしまうという事もあるでしょう。この時のイスラエルの民も、相当文句を言ったようです。11:4~6。彼らは「ああ、肉が食べたい」と大声で泣く程に思った。いかがでしょう。皆さんも「ど~しても食べたい」と思う「肉」があるでしょうか?


2.充分な恵み
 彼らには荒野の旅の間じゅう、「マナ」というホットケーキの粉のような食べ物を神様から朝露のように与えられていました。けれども彼らは神様が与える「マナ」では満足しなかった!私たちは味の濃い食べ物を美味しく感じます。けれども、シンプルな「マナ」は、人間に必要な栄養が全て入っている、完全食品でした。しかし「マナ」では彼らは満足しなかった。4節、「激しい欲望にかられ」。神様が与えて下さるものはいつも充分なのです。Ⅱコリント12:9「わたしの恵みはあなたに十分である。」しかし私たちはしばしば神様の恵みに不満を言います「足らない足らない」と。人と比べて「私はあの人よりもらってない、ズルイ」と。エデンの園でも神様の恵みは十分でした。ところがアダムとエバは欲を起こして「善悪の木の実」を食べた。あなたは神様が下さるもので満足してるでしょうか?


3.神のことばで生きる
 この「マナ」は「御言」を象徴しています。申命記8:3(口語)「主は…マナをもって、あなたを養われた。人はパンだけでは生きず、人は主の口から出るすべてのことばによって生きることをあなたに知らせるためであった。」私たちが人生の旅をするに当たって、神様が与えて下さっている「魂の糧」「心の栄養」それはこの「マナ」すなわち聖書の御言です!それこそは、私たちの魂の必要を「完全」に満たして余りある栄養です!よく食べましょう、この糧を!

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