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一人一人が聖霊に満たされれば

主の民がみな、預言者となり、主が彼らの上にご自分の霊を与えられるとよいのに。

民数記11:29

1.民のつぶやき
 イスラエルの民は、約束の地を目指して「荒野の旅」をスタートしました。それは「信仰の旅」を象徴しています。ところが、彼らは旅を始めたばかりなのに、間もなく、つぶやきが出てきました。11:1~3。精根、尽きるのが早いなあ・・・と思いますが、しかし人間というものは、そう忍耐強い訳ではありません。私たちはある時は恵まれて喜びます、「主よ、感謝します」と。けれども、また挫けて落ち込むのも早い。いつも揺るがない信仰を持ち続けるというのは難しいと実感します。


2.モーセの嘆き
 けれども、またモーセでさえも、心が疲れ果て、神様に訴えました。10~15節。「お願いです、どうか私を殺してください」と言うほどでした。モーセはスーパーマンのような鋼の強い心を持ったタフな男ではありませんでした。このイスラエルの民をカナンの地まで、先頭に立って導いて行くのは、そりゃあ大変な事。モーセにとって、やはり余りにも重い使命でした。私ももっと若い時は、「牧会」という重荷に耐えられない、と思う時がありました。モーセと同様、教会を導くとか、築き上げるなんて事は、本来、牧師ひとりで到底できる事ではないのです。14節「私一人で、この民全体を負うことはできません。」


3.一人一人に聖霊を
 しかし、神様は素晴らしい事をして下さった。17節、「(口語訳)わたしはあなたの上にある霊を、彼らにも分け与えるであろう。彼らはあなたと共に、民の重荷を負い、あなたが、ただひとりで、それを負うことのないようにするであろう。」皆さんの心の中で「どうしたら素晴らしい教会になるか」という理想論はあるでしょう。でも大事な事は「そのために自分は何が出来るか、何をすべきか」です。モーセ一人、牧師一人だけが聖霊に満たされたって、教会は築き上がりません。29節、「主の民がみな、預言者となり、主が彼らの上にご自分の霊を与えられるとよいのに。」これはイエス様の願い!2000年前のペンテコステの時、祈っていた一人一人に聖霊が注がれ、それで教会が誕生しました。勿論、牧師のために祈ってください。けれども皆さん、自分のために祈ってください。自分が、主のために、教会のために、聖霊に満たされるように!

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