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主人を選べ

私たちがキリストとともに死んだのなら、キリストとともに生きることにもなる、と私たちは信じています。

ロ-マ6:8

1.主と一つとされる
 来月はイースターですが、私も40年前に洗礼を受けました。その時は「浸礼」で、冷たいお風呂のような所に全身を沈められ、そして水の中から起されました。その意味は「罪と死に支配されていた今までの古い私は、イエス様の十字架と一緒に死んだ。そしてイエス様の復活と一緒に新しく生かされました」という事です。ですから私たちがクリスチャンになるという事は、イエス様と結び合わされる、という事です。6節、“私たちがキリストの死と同じようになって、キリストと一つになっているなら、キリストの復活とも同じようになるからです。”


2.もう解放されているのに
 新しく生まれ変わったという事は、もう罪と死の奴隷ではないという事です。7節、“(すでに)死んだ者は、罪から解放されているのです。”しかし、もう奴隷の鎖は解かれているのに、もしいつまでも奴隷のままのように生きているとしたら、どうでしょう。リンカーンが奴隷解放宣言を出した時もそうでした。奴隷である事が当たり前に生きて来たので、スグには変われなかった。私たちもともすれば、もう罪から解放されたのに、いまだにまるで奴隷のように罪に服従して生きている事があるのではないか、と言うのです。11~14節。もう罪に縛られてないのに、なぜまたわざわざ、自ら自分を罪に献げるような事をするのか、むしろ自分を神に献げなさいと語られています。13節、“あなたがた自身を神に献げ、また、あなたがたの手足を義の道具として神に献げなさい。”ですから、クリスチャンになってからの歩みが、更に大事です!


3.主人を選べ
 人間は、必ず何かの「主人」に従って生きるよう造られています。そして、誰を自分の「王様」として生きるのか自分で選ぶのです!罪の奴隷にも戻れるし、神の僕にもなれる。それは自分が日頃、具体的に何に自分を献げるかで決まります!せっかく出エジプトしたのに「またエジプトに戻ろう」というのでは意味が無い。だから、クリスチャンになった後の歩み、後の生き方が重要なのです!自由にされた後の生き方が!願わくは全ての人がイエス様を主人として、義のために自分を献げますように!

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