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信仰から希望へ

希望は失望に終わることがありません。なぜなら、私たちに与えられた聖霊によって、神の愛が私たちの心に注がれているからです。

ローマ5:5

1.神の栄光にあずかる希望
 前回は「信仰」についてでしたが、今日は「信仰」が「希望」につながっていく事を見たいと思います。1節“私たちは信仰によって義と認められたので、私たちの主イエス・キリストによって、神との平和を持っています。”言わば、お父さんの元を飛び出した親不孝な息子が、今まで親子の縁を切られていたけれども、赦されて、再び親子の関係を回復してもらったのです。2節“神の栄光にあずかる望みを喜んでいます。”放蕩息子が帰ってきた時、お父さんが「最高のもの」をもって迎えたように、想像をはるかに超えた、輝く神の栄光にあずかるのです。ですから、しょうもないこの世のお宝に執着しなくてもいいのです。神の家に帰り、神の栄光にあずかる希望があるのです!


2.苦難が・・・希望を生む
 3節“それだけではなく、苦難さえも喜んでいます。”正直、私も苦しみを喜ぶとまでは言えません。しかし信仰によって受け止めようと思います。なぜなら、“苦難が忍耐を生み出し”苦難が、主を信じ続ける「忍耐」を成長させます。“忍耐が練られた品性を生み出し”忍耐が、人格を練り上げてくれます。“練られた品性が希望を生み出す”苦難によって信仰が鍛えられた人は、信仰が揺るぎませんから、何かが起きてもすぐに失望しない。「大丈夫、この事も主は必ず益として下さる」と、今までの経験から希望をもてる訳です。“この希望は失望に終わることがありません。なぜなら、私たちに与えられた聖霊によって、神の愛が私たちの心に注がれているからです。”


3.神の愛は変わらないから
 あなたは自分が神様に愛されていると信じているでしょうか?確かに、神様の愛は実感しにくいかも知れません。私も神様の愛が分かりませんでした。けれどもある時分かりました。なぜ分かったか、理由は説明できません。けれども、まさに聖霊が教えて下さったのです!“なぜなら、私たちに与えられた聖霊によって、神の愛が私たちの心に注がれているからです。”神様によって愛されているという事実は、どんな時も変わらない。とするなら色んな苦難が起きても、神様を信じる希望は失望に終わる事はないのです!

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