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信仰とは何か

ただ、主に背いてはならない。その地の人々を恐れてはならない。・・・主が私たちとともにおられるのだ。彼らを恐れてはならない。

民数記14:9

1.エジプトに帰る?
 前回イスラエルの民は、カナンの地の目前まで来ました。12人のリーダーは偵察に行き、報告しました。ヨシュアとカレブは信仰に立ち「先住民を倒し、約束通りカナンの地に入る事が出来る」と言ったけれども、その他の10人は「相手は強そうだから、無理だ」と言いました。それを聞いて民衆は泣き叫びました。ほんの一年前、彼らがエジプトから脱出した時、彼らは意気揚々として賛美しながら出て来たのです(出エジプト15:1~3)。ところが、前に進むのが困難だと思った時、途端に泣き言を言い始めた。「エジプトから出て来なければよかった。エジプトの方がまだましだ。戻ろう。引き返そう。以前の奴隷の生活に」。きっと彼らはもっと楽に、戦わずしてカナンの地に入れる、と甘く考えていたのでしょう。


2.信仰とは何か?
 信仰とは何でしょうか?信仰というのは正に「出発進行」の進行だと思います。つまり信仰とは「前に進むもの」、前進するもの!後退するものではない。けれども彼らは「帰ろう、戻ろう」ばかり言っている。もし後ろを振り返るなら「塩の柱」になってしまう。イエス様は言われました、「鋤(すき)に手をかけてからうしろを見る者はだれも、神の国にふさわしくありません。」(ルカ9:62)


3.何のためクリスチャンになったのか
 イエス様にいったん着いていこうと思うならば、最後までとことん着いていくしかないのです。途中で「やっぱ、やーめた」は無し。前進するしかないのです。そうでないなら一生、荒野です。いつまでもカナンの地に入れない。つまり勝利のない信仰生活。何十年経っても、恐れと怠惰で前進する信仰をもたないなら、いつまでも神様と自分に言い訳ばかりしているクリスチャンのまま終わるのです。皆さん一人一人、何のためにクリスチャンになったのでしょうか?イエス様について着いていくためでしょう?自分の身の安全ばかり考えていたら、信仰による前進なんて出来ません。奇跡を見る事も出来ません。ヨハネ11:40「もし信じるなら神の栄光を見るであろうと、あなたに言ったではないか。」(口語)相手を見れば巨人、自分を見ればイナゴ。共におられるイエス様を見ましょう!“主が私たちとともにおられるのだ。彼らを恐れてはならない。”9節。

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