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信頼して待つ

立ち返って落ち着いていれば、あなたがたは救われ、静かにして信頼すれば、あなたがたは力を得る。

イザヤ30:15

1.主を待ち望む
 今年2020年もアドベント(待降節)を迎えました。今日の所で、ユダの国はアッシリアという敵の国に怯えていました。それなら神様に助けを求めればいいのに、彼らは神様に助けを求めるよりも、お隣りのエジプトに頼ろうとしていたのです。15節。どうでしょうか、人間というのは「主を静かに待ち望む」という事を本当に好まない面があると思います。目に見えない神様をあてにして、祈り待ち望む、という事を好まない。皆さんはどうでしょうか?現代人は特に神様を待ち望む事を好まない、せっかちな者かも知れません。何をそんなに急いでいるのでしょう?


2.世の力に頼る民
 16節。エジプトの速い馬の力をあてにしています。でも、もっと速い馬、もっと強い力にやられるだけの事です。まるで人間は、いつもこの世の何かに追いかけられているように見えます。追われて追われて、必死に逃げているようです。静かに祈って神様の助けを待ち望むよりも、とりあえず手っ取り早い助けを求めます。今時は何でもスグ、スマホで調べる癖がついています。まず祈るのではなく、まずスマホ。神様に聞くより、まずスマホに聞く。信仰が堕ちるのも当然です。


3.信頼すれば
 同じイザヤの52:12にこういう御言があります。“あなたがたは慌てて出なくてもよい。逃げるように去らなくてもよい。主があなたがたの前を進み、イスラエルの神がしんがりとなられるからだ。”私の初任地の押部谷伝道所が独立する時、設立式でこのみ言葉が開かれました。「教会が自立するという事で、自分たちが頑張らなきゃ、と気負っているかも知れない。けれど、あなたがたが急いだり、慌てたり、飛び回る必要は無い。なぜなら、この教会をここまで導いたのも、自立させたのも、今後、導いて下さるのも、主がなさる事です」と語られたのが非常に印象的でした。19~22節の御言は、神様を待っているなら、必ず、遅かれ早かれ答えがある、という力強い約束です!あなたを造られたのは誰ですか?今も世界を導いておられるのは?救い主を送られたのは?教会を生み出されたのは?全部、神様です。とするなら、私たちがアレコレ心配する必要はない。静かに、主を信頼していればいいのです!

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