祈りの手、祈りのひざ
弱った手を強め、よろめく膝をしっかりさせよ。
イザヤ35:3
1.主を待ち望むこと
待降節第2週に入りました。この時期は「神様に期待して、信頼して待ち望む」ことを学ぶのがふさわしいと思います。先週もイザヤ30:15から「あなたがたは立ち返って、落ち着いているならば救われ、穏やかにして信頼しているならば力を得る。」(口語)という御言を開きました。イザヤ書はそういう御言が多いのです。40:31もそうです、「主を待ち望む者は新たなる力を得、わしのように翼をはって、のぼることができる。」イザヤは「希望の預言者」と言われます。けれども、イザヤが預言した時代は、信仰的にも、道徳的にも堕落していたし、外国からも攻撃されたり、非常に悲惨な、希望を持てるような状況では無かったのです。今の世の中もそうでしょう。けれども、そういう時にこそ、神様はイザヤを通して「信仰と希望を持つように」というメッセージを伝えさせたのです!
2.祈りの手とひざ
今日の箇所を見ましょう。“弱った手を強め、よろめく膝をしっかりさせよ。”そのまま単純に考えるならば、「手」というのは、手のわざ、働きを意味し、「ひざ」は歩く事を意味するでしょう。ですから「元気を出せ」といった意味でしょう。けれども、もう一歩進んで考えると、こう受け取る事も出来るでしょう。「手」とは祈りの手。手を組んで祈ったり、あるいは手を挙げて祈ったり。また「ひざ」というのも、ひざまづいて祈る、祈りを象徴すると神学校で教わりました。そう考えるなら、単に元気を出せ、という事だけでなく、「もし祈りの手が弱っているなら、ひざまづいて祈る祈りがよろめいているなら、その祈りをもう一度強くしなさい!信じ続ける事に疲れてしまって、祈り期待することに疲れてしまって、『どうせ祈ってもダメだ、期待してもダメだ・・・』と思っているかも知れない。けれども、その弱った祈りの手とひざをもう一度強くし、忍耐して祈り続け、待ち望んで祈り続けなさい!」そう励ましておられるのではないでしょうか!
3.もう一度、祈りなさい
4節。目の前の現状を見るならば、この先どうなるだろうと心騒ぐだろう。けれども、「強くあれ。恐れるな。・・・神は来て、あなたがたを救われる」と語られています。祈りの手とひざが弱っていますか。もう一度、祈り始めましょう!主の救い、主の御業を待ち望みましょう!