神に祝福された私たち
見よ、私は、祝福せよとの命を受けた。神が祝福されたのだ。私はそれをくつがえすことはできない。
民数記23:20
1.40年の守りと祝福
イスラエルの民は本来なら、もうカナンの地に入れている筈でした。彼らが神様の約束を信じて前に進む事を恐れず、戦う事を恐れなければ。しかし彼らは恐れ、不信仰になったので、荒野で40年の遠回りをしなければならなくなりました。けれども、そんな彼らを神様は決して見捨てられませんでした。申命記2:7、“事実、あなたの神、主はあなたのしたすべてのことを祝福し、この広大な荒野でのあなたの旅を見守っていたのだ。この四十年の間、あなたの神、主はあなたとともにいて、あなたには何一つ欠けたものがなかった。”
2.戦えるようになった
さて、そして前回から今回までの間でもう40年が経ちました。今度こそ本当にカナンの地が近づいてきた訳です。けれどもゴールが近いと、悪魔の攻撃、妨害も激しくなってきます。21章で三つの敵が、戦いをしかけてきました。「カナン人」1~3節。「アモリ人」21~25節。「バシャンの王」33~35節。けれども、神の民の行く手を邪魔する敵は、ことごとく主によって倒されました。この40年でイスラエルの民は、神様に頼りながら戦えるようになってきました。
3.呪いを祝福に
さて、モアブの王「バラク」はイスラエルが次々と敵を倒し、こっちに近づいてくるのを見て、占い師「バラム」にイスラエルに呪いをかけてもらおうとしました。けれども神様はバラムの呪いを止めさせ、逆に祝福の言葉に語るようにされました。“その民をのろってもいけない。その民は祝福されているのだから。” 22:12
4.無敵の祝福
私たちの回りには色んな敵がいるかも知れない。とにかく悪魔は神の子ども達を弱らせようと、人を使って目の敵にしてくる場合もあります。大人も子どもも。けれども皆さん、神様はご自分の民をあらゆる敵から、悪魔から守って下さり、呪いを祝福に変えて下さるのです!一切の呪いはイエス様が十字架で受けてくださった!だから私たちは呪われない、祝福されているのです!私たちは自分が神様から祝福されている事をもっと自覚しようではありませんか。たといどんな敵が行く手を阻もうとも、神様は呪いを祝福に、災いを幸いに変えて下さるのです!