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神より生まれし者よ

わたしは、この大きな都ニネベを惜しまないでいられるだろうか。

ヨナ4:11

1.前回のあらすじ
 ヨナ書の後半を開きます。前回、預言者ヨナは神様から「アッシリアのニネベに行って、神の言葉を伝えなさい」と命じられましたが、憎むべき敵国には行きたくないと、反対方向の舟に乗りました。ところが大嵐になった。「原因は私です。海に投げ入れて下さい」。けれども、神様は大きな魚にヨナを飲み込ませました。魚の腹の中、ヨナは悔い改め、必死に救いを祈りました。神様はその祈りを聞いてくださり、魚に命じて、ヨナを吐き出させました。2:10。


2.悔い改めた人々
 大魚の腹から生きて戻ったヨナは大評判となったでしょう。大魚も海も人の命も支配されるこの神様に誰が逆らえるものかと、罪深いニネベの人たちは、なんと心から悔い改めました。そして神様は彼らを憐み、災いを降すのを止められました。人が救われるというのは、神の業です。どんな罪深い人でも、真の神様を恐れ、神の言葉を真正面から受け止めるなら、罪を示され、悔い改め、救われるのです!


3.怒りの理由
 ところが、ヨナはその事が気に入らなかった!ニネベの人たちが赦された事をとても喜べない。「あんな酷い奴ら、滅ぼされて当然ではないかっ。」激怒するヨナに主は言われました、「あなたは当然であるかのように怒るのか。」(4:4)どうでしょう、男性・女性に関わらず、人間は本当によく「怒る」ものだと思います。そして怒っている時、「この私の怒りは『当然』の怒りだ!」と思うのです。私の怒りは正しい!私には怒るべき正当な理由がある、「当然」だ!と。でも本当にそうでしょうか?なぜ、私たちは怒るのか?その理由は結局、「自分が気に入らないから」。ヨナは、神様のやる事が気に食わなかったのです。「なぜ憎らしいニネベの奴らを滅ぼさないのか!なぜ私の思う通り、願う通りにならないのか!」と。ヤコブ1:20「人の怒りは神の義を実現しないのです。」けれどもヨナにとって憎いニネベの人たちも、神様は愛しておられるのです。右左をわきまえない愚かな者たちも、神様にとっては限りない愛をもって造られた一人一人なのです。神様は全ての人を惜しんでおられます。御子を十字架につける程に!その神様の思いを受け、人の救いを心から願う者にして頂きましょう。

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