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神を信じるということ

わたしたちの主イエスを死者の中からよみがえらせた方を信じるわたしたちも、義と認められるのです。

ローマ4:24

1.義人はいない
 前回は3:10~から「義人はいない。一人もいない」と、人間の罪についてハッキリ語られている所を見ました。人間は神様の前に胸をはって「私は何もやましい所はありません」と言える人は一人もない。自分では誰も天国に入れないのです。ところが、今や「神の義が・・・示されました。」それは「イエス・キリストを信じることによって、信じるすべての人に与えられる神の義です。」


2.神を信じるとは
 その救いの恵みを頂くには、ただ神様を信じる「信仰」が必要なのですが、では「信じる」という事はどういう事か。アブラハムの例を挙げています。1~3節“アブラハムは神を信じた。それで、それが彼の義と認められた。”アブラハムには長年、子どもが無かった。夫婦ともに、もはや赤ちゃんがお腹に宿る事の出来ない年齢になっていた。けれども、神様はアブラハムに夜空の満天の星を見せながら、こう言われました、創世記15:5「さあ、天を見上げなさい。星を数えられるなら、数えなさい。」「あなたの子孫は、このようになる」。人間の常識や経験で考えて、あるいは人間の能力的に絶対に不可能と思われる事でも、神様が「こうする」「こうなる」と言われた言葉を信じる。人間には出来ないけども、神様には出来ると信じる、これが「神様を信じる」という事なんですね!アブラハムはその時、それを信じたのです。“それが彼の義と認められた。”


3.信じるなら
 しかし、不可能だ、無理だと思える状況の中で、それでも本当に神様を信じるというのは、決して簡単な事ではない。ですから、アブラハムが本気で神様の約束を信じたとするなら、それはスゴイ事だと思います!どうですか、皆さんは本当に、本気で主なる神様を信じていますか?「信じてる」と言いながらも、案外、実際の生活の中で信頼していない事はないですか?最も信じるのが難しい事とは、完全に死んだ状態のものが、もう一度、命を得る事!あるいは何も無い状態なのに、何かが生まれること!信じて義と認められるのはアブラハムだけではないのです!“私たちの主イエスを死者の中からよみがえらせた方を信じる私たちも、義と認められるのです。”

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