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主と共なる老後

あなたがたが年をとっても、わたしは同じようにする。あなたがたが白髪になっても、わたしは背負う。わたしはそうしてきたのだ。

イザヤ46:4

1.人生の秋
 今日の箇所に「白髪」とありますが、箴言20:29には“若い男の栄誉は彼らの力。老人の輝きはその白髪。”とあります。白髪だけでなく、手のシワ、顔のシワの一つ一つがこれまでの人生を物語っています。四季に例えるなら、年老いた時期は「秋」。「秋」は最も落ち着いた充実の秋、人間に磨きのかかる時期と言えます。しかしまた同時に、なにか淋しさを感じる、心細さを感じる時期かも知れません。体力も気力も衰えてくる。愛する家族や仲間も次々と先に行ってしまう。果たして幸いな老後とは何でしょうか。今日の聖書箇所を見て参りたいと思います。

2.運ばれるのでなく、運ぶ
 神様この46章には先週も見ましたが、偶像の神と真の神の違いが記されています。当時、戦争の時にはそれぞれの偶像を戦場に運んで来ました。神頼みする訳です。でも負けると、家畜に背負わせて逃げるのです。早くもち帰らないと壊されます。非常に世話のかかる偶像です。役に立たないどころか、家畜の重荷でした。しかし真の神様はその逆です。3節、“胎内にいたときから担がれ、生まれる前から運ばれた者よ。”私たちを赤ちゃんの時から「持ち運ばれた」神様です。皆さんもほんの数十年前は赤ちゃんでした。神様によって母のお腹で命を与えられ、この世に誕生した。そして育ち、今日まで人生を生きて来た。その背後には、目に見えない神様の愛の手があったのです。あなたを造られた神様の愛の両手があなたの人生を持ち運んで下さったのです!喜びの時、悲しみの時、どの時どの場面でも神様は共におられて、あなたを支えて、今日まで持ち運んで来られたのです。

3.幸いな老後とは
 その神様がこう言われるのです。4節、“あなたが年をとっても、わたしは同じようにする。あなたがたが白髪になっても、わたしは背負う。わたしはそうしてきたのだ。”「本当に幸いな老後」とは立派な有料老人ホームに入る事ではない。真の神様に持ち運ばれる老後ではないでしょうか!もし真の神様を知らないなら、こんなに淋しい老後はありません。しかし、自分の心の奥底まで御存知で、誰より自分の事を心配し、愛して下さる神様と、日々、心の交わりをしながら共に生きていく老後とは、なんと幸いでしょう!しかも先にあるのは天国の希望なのです!

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