妥協という名の敵
しかし、主の指示を求めなかった。
ヨシュア9:14
1.悪い癖
前回の8章では、イスラエルの民はアイの町との戦いにおいて、見事リベンジを果たしました。悔い改めて、神様によく聞き、全力で戦い、そしてヨシュアが祈り続けたので、勝利する事が出来ました。 しかし、人間の悪い癖はなかなか治りません。勝つとスグ気が緩み、油断してしまうのです。
2.主の指示を求めなかった
ギブオンの町の人たちはイスラエルを恐れ、生き残るために契約を結ぶ事を考えました。と言っても、カナンの住民とイスラエルが契約を結ぶ筈がありません。 そこで彼らは策略を考えました。「私たちは遠くの国からやってきました。カナンの住民ではありません、というフリをしよう」と。 ヨシュアはすっかり騙されてしまった。哀れな姿に同情を誘われたのです。それも悪魔の作戦です。私たちが情に弱いことをよく知っている。そして下手(したて)に出られると弱い。「私はあなたの僕です。社長、先生、だんな、奥様」と煽てられ。 一番たちが悪いのは、クリスチャンのフリをする人です。異端は必ず「私もクリスチャンですよ」と言ってきます。ギブオン人たちも「私たちもあなたがたの神を敬います」みたいな事を言うので、ヨシュアも「悪い人たちじゃなさそうだ。それに遠くの外国人なら問題ないだろう」と、安易に契約を結んでしまいました。 けれども、ハッキリと書かれています、「しかし、主の指示を求めなかった」と。
3.この世と妥協してはならない
実際どうでしょうか? 誰の声に一番耳を傾けていますか? 世間の声、仲間の言葉、テレビやネットの声、周りの圧力・・・結局は自分の声に聞くでしょうか? 本当にどれくらい、主に聞いているでしょうか? 主の指示を求めていますか? また安易に契約を結んでいませんか? 色んなものと簡単に仲良くしてしまって、もしかしたら「罪」と仲良くしてしまっているかも知れない! 神様の御心にかなわない事と契約を結んでしまっているかも知れない!「妥協という名の敵」。信仰において一度、妥協してしまうと、それがいつも悩みの種となるという事があります。 ローマ12:2、“この世と調子を合わせてはいけません。むしろ、心を新たにすることで、自分を変えていただきなさい。そうすれば、神のみこころは何か、すなわち、何が良いことで、神に喜ばれ、完全であるのかを見分けるようになります。”
