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罪人と交わるイエス様

医者を必要とするのは、健康な人ではなく病人です。わたしが来たのは、正しい人を招くためではなく、罪人を招いて悔い改めさせるためです。

ルカ5:31~32

1.盛大なパーティー
 前回は、イエス様が取税人レビ(マタイ)に目を留められ、「わたしについて来なさい」との一言で、全てを捨ててイエス様に従った、という場面でした。それでレビは、盛大な食事会を開きました。それぐらい嬉しかったのでしょう、この喜びを他の取税人仲間にも分けたい、仲間たちにもイエス様を紹介したい、と思ったのでしょう。

2.罪人と交わる
 イエス様ところが、それを冷たい目で見ている人達がいました。「パリサイ」という意味は「分離」という意味です。元々は、律法を完全に守り「罪」から分離して正しく生きようとした。けれども「だから我々は罪人とは交わらないのだ。自分たちはきよいのだ。正しいのだ」という高ぶりになってきた。それで批判した。「なぜあなたがたは、取税人たちや罪人たちと一緒に食べたり飲んだりするのですか。」その問いに答えるなら、それは、イエス様が彼らを愛しているからです。それは罪を愛しているという事では、勿論ありません。誰よりも罪を憎んでいる。けれども、イエス様は「罪人」の「罪」を悲しむ以上に、「罪人」である「人」を愛する思いの方がもっと強かったのです!この人たちが罪人である事はパリサイ人に言われなくとも、誰よりイエス様がよく分かっているのです!全てが見えるのだから。それでも愛している!だから共に交わるのです。パリサイ人と間逆です。彼らは罪人と分離する。イエス様は罪人と交わる!

3.自分の罪を認める者は
 “わたしがきたのは、義人を招くためではなく、罪人を招いて悔い改めさせるためである。”(口語訳)魂が健康な人は一人もいないのです。なぜなら人間は皆、罪人だからです。だから魂の医者であるイエス様が必要なのです。「私は罪人だ。赦されないといけない、救ってもらわないといけない、イエス様という医者、救い主が私には必要だ!」と自覚している人が、イエス様の元に来て救われるんです。罪を悲しみながらも、それ以上に私たちを愛して招いてくださる、イエス様に感謝しましょう!そして人を愛するイエス様の心を分けていただきましょう。

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