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罪を悲しむ心

「都の中、エルサレムの中を行き巡り、ここで行われているすべての忌み嫌うべきことを嘆き悲しんでいる人々の額に、しるしをつけよ。」

エゼキエル9:4

1.悔い改めない頑固な民
先週からエゼキエル書を開いています。イスラエルの民はその偶像礼拝と堕落のゆえに、神様を悲しませ怒らせました。その結果、神様はバビロンを用いてイスラエルを懲らしめられました。けれども、まだエルサレムの町と神殿は崩されていませんでした。それでイスラエルに残っている人々はこれだけ懲らしめを受けても、まだ悔い改めていませんでした。人間は罪の感覚に対して鈍くなると、ちょっとやそっと痛い思いをしても悔い改めません。麻痺しているのです。

2.神殿で偶像礼拝が
次にエゼキエルは聖霊によって、エレサレムの神殿の様子を見させられました。なんと、真の神様を礼拝すべき神殿の北の入口に偶像が置いてある!これだけでなく動物の偶像もあって、長老たちが礼拝していた。またタンムズという死んだ美少年を偶像にして女性たちが泣きながら礼拝していた。そして最後に見たのは、なんと祭司たちが真の神様に背を向け、太陽を拝んでいた!もはや神殿とは言えません。この神殿を神様が壊そうとされるのは当然の事です。父なる神様とイエス様を礼拝してこそ、神殿また教会なのです。私たち一人一人の心も「神殿」と呼ばれますが、洗礼を受けていても、礼拝をしていないならクリスチャンではない。ましてや神様以外のものに心を奪われているなら・・・。

3.悲しみ、祈る
その時、神様は本当のクリスチャンたちの額にしるしをつけ、区別をされます。「都の中、エルサレムの中を行き巡り、ここで行われているすべての忌み嫌うべきことを嘆き悲しんでいる人々の額に、しるしをつけよ。」私たちクリスチャンには、この世の罪を嘆き悲しむ心が必要です。今にも神様の怒りが下りそうな程、今は罪の時代です。しかし最も怖い事は、クリスチャンでさえも世の罪に慣れっこになってしまっているという事です。どうでしょうか、世の罪を悲しみ、自分の罪を悲しんでいるでしょうか?この世は悲しすぎます。エゼキエルが改めてこの世の罪の酷さを知らされたように私たちも聖霊によってこの世の罪の状態を分からせて戴く必要があります。そして愛する人々が、この罪の世から救われるように、目を覚まして祈っていきましょう。

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