ゆるしと再出発
「彼の汚れた衣を脱がせよ。」 そしてヨシュアに言った。 「見よ、わたしはあなたの咎を除いた。あなたに礼服を着せよう。」
ゼカリヤ3:4
1.ボロボロで帰って来た
70年間のバビロン捕囚が終わり、自由の身となったイスラエルの人々は、一部の人たちですが、エルサレムに帰って来ました。よく決心して帰って来ましたが、色んな意味でボロボロの状態で帰って来た訳です。ここでゼカリヤが一つの象徴的な幻を見ます(ゼカリヤは何回も幻を見ます。)それは法廷のような場面で、そこに大祭司であるヨシュアが立たされていました。これまたボロボロの格好をしている。本来、祭司はキレイな祭司服を着るのです。サタンはこのヨシュアを責めるのですが、神様はヨシュアを弁護して言われた、2節、“「サタンよ、主がおまえをとがめる。エルサレムを選んだ主が、おまえをとがめる。この者は、火から取り出した燃えさしではないか。」”ヨシュアはあのバビロンから必死の思いで帰って来たんだから、言わば、火事で燃えている中から、焼け焦げながら、それでも帰って来たのではないか。終戦後に帰って来た人のように、そりゃ戦地で色んな事があったろう、人に言えないような事もしてきたかも知れない・・・、それでも帰って来たんじゃないか!という、父なる神様の思いを表わしてると思います。
2.ゆるしと再出発
実はこれはヨシュアだけの事を言ってるんでは無いのです。イスラエルの人たち皆を代表してる訳です。イスラエルは本来、世界の祭司の民。神様に選ばれ救われ育てられ、真の神様を世界に示す役割。そしてこれは、私たちクリスチャンの事も指してる訳です。“「彼の汚れた衣を脱がせなさい」。またヨシュアに向かって言った、「見よ、わたしはあなたの罪を取り除いた。あなたに祭服を着せよう」。”(口語)ちょうど「放蕩息子」の話と似ています。父親は息子が帰ってきたのを見ると、走って行って抱きしめ、「急いで一番良い衣を持って来て、この子に着せなさい。・・・この息子は、死んでいたのに生き返り、いなくなっていたのに見つかったのだから。」と言いました。父なる神様というお方は勿論、厳しくもある。けれども結局、何を願っておられるか。子どもたちに帰ってきて欲しい!それだけなのです。
