主と聖徒らに続いて
信仰の導き手であり、またその完成者であるイエスを仰ぎ見つつ、 走ろうではないか。
ヘブル 12:2(口語)
1.先輩たちが先に
今年も多くの信仰の先輩方が天にお召されになったなあ、と思います。信仰生涯をよく「山登り」に例えますが、私の父が山登りが好きで、夏休みなどに連れて行かれる事がありました。若いですから最初は元気ですが、やがてヘトヘトになる訳です。当然ながら山道というのは舗装されていません。泥道、凸凹道、岩の道・・・。けれどもその道を歩くのは、私が初めてじゃない訳です。そこには木の板に書かれた道しるべがあります。丸太や石で作った階段があったり、急な坂にはロープの手すりが張ってあったりします。そういうのを見る時、「こんなしんどい山道だけれども、先にここに来た人がたくさんいるんだ。自分と同じように、しんどい思いをしてこの道を歩いた人が大勢いたんだな」と励まされるんですね。信仰の道も、多くの先輩達が既に歩いてきた道なのですね。決して自分だけがそのしんどさを味わっているのではないんですね。“こういうわけで、このように多くの証人たちが、雲のように私たちを取り巻いているのですから、私たちも、一切の重荷とまとわりつく罪を捨てて、自分の前に置かれている競争を、忍耐をもって走り続けようではありませんか。”
2.恵みの高みを目指して
私の父は、日本の山の名所は随分行っています。スイスまで行ってました。そのベテランである父親と一緒に山登りする訳ですから、心強い訳です。決して、ドンドン先に行ってしまう事はない。私の方を振り返りながら、「ついて来てるか。少し一休みした方がいいか」と心配しつつ歩いてくれる訳です。イエス様は、人生のあらゆる山を知り尽くしておられる。それはご自分が人生のあらゆる苦しみを味合われたからです。そして神様に従う人生を全うされた。そのイエス様が一緒だ。と言ったって、しんどいものは、しんどいです。けれども、イエス様が「一緒に山に登ろう」と言われるのは、この世俗を離れ、神様の恵みに近づく時、登った者にしか分からない素晴らしさを味合わせるためなのです。信仰の山登りはしんどい思いをしますが、それは多くの聖徒たちが既に歩いた道であり、主と共に歩く道であり、後に素晴らしい恵みに与るためである事を覚えて、頂上目指して、励んで参りましょう!
