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拒絶した主を仰ぎ見る

わたしはダビデの家およびエルサレムの住民に、恵みと祈りの霊とを注ぐ。 彼らはその刺した者を見る時、ひとり子のために嘆くように彼のために嘆き、 ういごのために悲しむように、彼のためにいたく悲しむ。

ゼカリヤ12:10(口語)

1.主を拒んだイスラエル
 イスラエル人はこともあろうに、父なる神様が最大の愛を込めて遣わした救い主を拒み、捨て、十字架に付けました。その後どうなったか。西暦70年、ローマ帝国に滅ぼされたのです。そして、世界中のあちこちに住み、酷い迫害も受けて来た訳ですが、神様はイスラエル民族を見捨てず、1948年に再び国が再建された訳です。これも預言通りでスゴイ事ですが、いまだ殆どのユダヤ人はイエス様を信じていません。ですから国の形は回復したかも知れませんが、肝心な王様がいないのです。

2.突き刺した主を仰ぎ見る
 続いて12章に入りますが、まずは説明ぬきで前半を読みます。こういう事が間もなく起きるのかも知れません。エルサレムを中心にした戦争です。12:1~8。けれども、その戦争の後、12:9~10(中心聖句)、イエス様が地上再臨される時、稲妻のような輝く姿で来られる。それを世界中の人が目撃する訳です。誰もが、神の御子であると分かって、おそれひれ伏す訳です。その時、イスラエル人も当然見る。その時に、初めて分かる!「ああ、自分達がずっと拒んできた・・・、そして先祖達はこの方を十字架につけて殺してしまった、そのイエスは本当に神の子だったんだ!本当に我らの王だったんだ!自分達はなんという罪を犯してしまったんだ」と嘆くのです!それは悔い改めの祈りが与えられるという事です!イスラエルの国中が全家をあげて悔い改めて祈る、という事です。10~14節。(参照マタイ24:29~31)

3.今日という日に
 イエス様が来られる時、私たちはどんな思いで、イエス様を見るのだろうか?クリスチャンでない人は思うでしょう。「ああ、この方こそ本当に神の御子だった。なぜ私は今まで信じて来なかったのだろう。」ある先生はこう言われました。クリスチャン達はこう嘆くだろう、「ああ、なぜ私はこの素晴らしい神の御子を軽んじてきたのだろう、なぜもっと愛さなかったのか、もっと仕えなかったのか、この方は私のために十字架にかかって下さったのに・・・」と。今日という日に、主の前に自分の罪を嘆き、主を仰ぎましょう!

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