守りの城壁を築く
私たちが直面している困難は見てのとおりだ。・・・さあ、エルサレムの城壁 を築き直し、もうこれ以上、屈辱を受けないようにしよう。
ネヘミヤ2:17
1.城壁が崩れたまま
今日からネヘミヤ記を開きますが、内容はエズラ記に続いています。バビロンから解放されたイスラエルの民は、まず神殿を建て直しました。次にしなければならない事は、エルサレムの都を囲む城壁を建て直す事です。街を守る城壁が無いという事は、家の庭に他人がどかどか入ってきて、荒らして帰っていくような状態です。その報告がネヘミヤの耳に届きました。1:4、“このことばを聞いたとき、私は座り込んで泣き、数日の間嘆き悲しみ、断食して天の神の前に祈った。”
2.祈りの人ネヘミヤ
私たちは、このような祈りをしているでしょうか。ネヘミヤはこの時、ペルシアの王宮で高い位につき、自分自身は何不自由ない生活をしていました。しかし同胞の苦しみを聞き、自分だけ安穏としてはいられませんでした。しかし、ネヘミヤは「祈りの人」でした。早まって慌てて行動する人ではありません。とにかく神様に祈る。そして祈りながら道が開かれるのを待つ人でした。やがてチャンスが来ました。2:5、“私は天の神に祈ってから・・・”2:8、“わが神の恵みの御手が私の上にあったので、王はそれをかなえてくださった。”
3.祈りの城壁
私たちにとって城壁とは、「祈り」です。この世にあって信仰を持つ時、そこは平和な環境ではなく、周り中敵だらけです。「我らを試みに会わせず、悪より救い出したまえ」この祈りのバリアがある時、悪魔は手を出せません。「モーセが祈りの手を上げているとイスラエルは勝ち、手を下げるとアマレクが勝った」。(出17)また教会の城壁とは、互いの祈りです。礼拝が神殿なら、祈り会は城壁なのです。祈り会は教会を守る、霊のバリアを張っている訳です。ネヘミヤは大変な現状を調べ、しかし信仰と決断をもって言いました、“私たちが直面している困難は見てのとおりだ。・・・さあ、エルサレムの城壁を築き直し、もうこれ以上、屈辱を受けないようにしよう。”(20節口語)“天の神がわれわれを恵まれるので、そのしもべであるわれわれは奮い立って築くのである。”皆さん、愛する者のために涙を流して祈っておられるでしょうか。祈りこそ、愛する者たちを、敵である悪魔の手から守る城壁です!
