憎む者、愛する者
キリストは私たちのために、ご自分のいのちを捨ててくださいました。それによって私たちに愛が分かったのです。ですから、私たちも兄弟のために、いのちを捨てるべきです。
Ⅰヨハネ3:16
1.憎む者
15節“兄弟を憎む者はみな、人殺しです。あなたがたが知っているように、だれでも人を殺す者に、永遠のいのちがとどまることはありません。”実際に人を殺していなくても、「憎む」という事は「その人がいなくなればいい」と思う訳ですから人殺しと同じ。その人のうちに「永遠の命」は留まっていない。14節、“愛さない者は死のうちにとどまっています。”つまり、人を憎む人は「死」の中におり、人を愛する人は「命」を持つ。いかがでしょうか、皆さんは心の中で、誰か憎んでる人はいませんか?私たちはイエス様のお陰で赦された。なのに「お前は地獄に行け」と言うのか?
2.父の愛とイエスの愛
自分が愛される事を知らなければ、誰かを愛せません。前回3章1節にあったように、私たちは、父なる神様から一番大事な宝物、愛する息子イエスを十字架につける程の愛で愛されているのです。そしてそれは、イエス様の視点から言うと、私たちのためにご自分の命を差し出して下さったという事です。16節、“キリストは私たちのために、ご自分のいのちを捨ててくださいました。それによって私たちに愛が分かったのです。”
3.愛する者、与える者に
“ですから、私たちも兄弟のために、いのちを捨てるべきです。”「愛」とは与えるもの。自分の命を与えたイエス様の愛は、私たちの愛の目標です。今すぐ誰かのために死になさいとか、命を与えなさいとは言わないけれども、まず目の前の人に、与えられる愛を与えるべきではないか、と次の節に書いてあります。“この世の財を持ちながら、自分の兄弟が困っているのを見ても、その人に対してあわれみの心を閉ざすような者、どうして神の愛がとどまっているでしょうか。”つい私たちは言い訳をします、「私なんて弱いから何も出来ない」と。1タラントを土に埋めた人のように。でも何もできない訳じゃない。持ってない訳じゃない。18節、“子たちよ。私たちは言葉や口先だけで愛するのではなく、行いと真実とをもって愛し合おうではないか。”(口語)
