苦しみの特権
むしろキリストの苦しみにあずかればあずかるほど、喜ぶがよい。それは、キリストの栄光が現れる際に、よろこびにあふれるためである。
Ⅰペテロ4:13(口語)
1.三種類の苦しみ
この手紙は、苦しみの中のクリスチャンに希望を持つように書かれた手紙です。「苦しみ」には、大きく分けて三種類あると思います。
①一つは「一般的な苦しみ」と言いますか、全ての人に、神様が何らかの形で与えられる苦しみ。それは病気のような体の苦しみ、また何かを失うような心の悲しみ。それによって大事な何かを教えようとされる。詩篇119:71“苦しみにあったことは、私に良い事です。これによって私はあなたのおきてを学ぶことができました。”
②.二つ目は「罪による苦しみ」。自業自得。15節口語“あなたがたのうち、誰も、人殺し、盗人、悪を行う者、あるいは、他人に干渉する者として苦しみに会うことのないようにしなさい。”自業自得でも苦しみが与えられる事はありがたいかも知れません。なぜならその苦しみを通して、心から悔い改めさせよう、二度と同じ過ちを犯さないようにと願っておられるなら、それも神の愛から出ているのです。
③.三つ目、それは「キリストにある苦しみ」「クリスチャンとしての苦しみ」。12、13節、“むしろ、キリストの苦難にあずかればあずかるほど、いっそう喜びなさい。キリストの栄光が現れるときにも、歓喜にあふれて喜ぶためです。”
苦しみなのに、喜べ、と。それくらい「キリストにある苦しみ」というのは特権なのだ、と。14節。山上の説教でも“喜び、よろこべ”とか“喜びおどれ。見よ、天においてあなたがたの受ける報いは大きいのだから”と言われています。
2.イエス様と共に
では、そんなに特別な特権であるという、そのクリスチャンとしての苦しみを、果たして私たちはどれくらい味わっただろうか?他の苦しみは味わったかも知れない。でもイエス様の言葉に従おうとして、辛いけれども、でも私を救って下さった愛に応えて、自分の十字架を背負って、イエス様と共に、悩みや悲しみや苦労の一端を味わったという事が、どれ程あるだろうか?私たちに苦しみが与えられるなら、それは私たちをきよめ、整え、大いなる特権に与らせようという、イエス様の恵みです。苦しい時には、実は、助けと支えも特別に与えられます。19節。苦しみをイエス様と一緒に受止めていきましょう!
