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主の思いと、人の思い

それは、ご自身人の心の中にあることを知っておられたからである。

ヨハネ2:25口語

1.礼拝の心VS欲の心
 カナの結婚式の後、イエス様はエルサレムに行かれました。エルサレムには神様を礼拝する神殿があります。「過越の祭」は、昔、イスラエルの民がエジプトで奴隷にされていたのを神様によって救われた事を記念し、心から感謝する時でした。ところが人間はだんだん最初の目的や気持ちを忘れてしまいます。この神殿での礼拝も、そこに商売欲、金銭欲が入ってきて、金儲けの場所になっていったのです。人の心を見通すイエス様は、彼らを神殿から追い出されました、2:14~17。“わたしの家は、祈りの家ととなえられるべきである。それだのに、あなたがたはそれを強盗の巣にしている。”

2.私たちの心はどうか
 悪魔は本当に人間を罪に誘惑する天才です。その特徴は、「だんだんと」神様から離れさせようとする事です。急にではなく、じわじわと気づかぬうちに。私たちはどうでしょう。本当に神様の御心を行っているでしょうか。私たちはいつも自分がしている事を、一度立ち止まってゆっくり考える必要があるかも知れません。「自分がしている事は、本当に主の思いにかなっているのだろうか」と。

3.主の思い・願い
 23~25節。多くの人がイエス様の奇跡を見た時に何を期待したかと言うと、「その奇跡の力で、モーセのようにローマ帝国の支配から解放して欲しい。政治的なリーダーになって、力で世界を支配するイスラエル帝国を築いて欲しい」と。彼らの思いは、天ではなく地上にある。永遠の命を求めているのではなく、この世を求めている。そのためにイエス様を利用しようとしている、という事を知っておられたのです。“「人の心の中にあることを知っておられた」”イエス様の思い、願いはそうではありませんでした。「天に目を向ける事。神の国と神の義を求める事。物やお金ではなく、神と人を愛する事。そして、心から礼拝する事、それを願っておられるのです。地上の物は一時的ですが、神様が与える本当の幸せは永遠のものです。この世はいよいよ人間の欲や悪意が現れてくる時代になるでしょうが、その中で私たちは、ノアのように、イエス様と同じ思い、天国に目を向ける者でありましょう。

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