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何を誇れるのか

私には、私たちの主イエス・キリストの十字架以外に誇りとするものが、決してあってはなりません。

ガラテヤ6:14

1.自分もゆるされた罪人
1節、“兄弟たち。もしだれかが何かの過ちに陥っていることが分かったなら、御霊の人であるあなたがたは、柔和な心でその人を正してあげなさい。また、自分自身も誘惑に陥らないように気をつけなさい。”私たちは、誰かの罪を注意する時「私も同じ罪人だ。私も赦された罪人なんだ」という事を認める時、柔和な心で、人の罪を教えてあげる事が出来ます。そして自分だって、いつ同じような罪を犯すとも分からない、弱い人間である事を思う時、決して上から責めたり、裁く事は出来なくなります。

2.何者でもない
3節、“だれかが、何者でもないのに、自分を何者かであるように思うなら、自分自身を欺いているのです。”私たちには色んな誇りがあるかも知れません。私にはこんな能力がある、こんな事が出来る、こんな資格がある、スキルと経験がある、知識がある、だからやってあげられる。自分を誇る人は、他人を見下す人です。4節、“それぞれ自分の行いを吟味しなさい。そうすれば、自分にだけは誇ることができても、ほかの人には誇ることができなくなるでしょう。”私たちは、神様の前に出る時に、何一つ誇れるものはないのです。「どうです、神様。ボク、スゴイでしょう、偉いでしょう。」と言えるものはないのです。神様の前に出る時、私たちは、顔も上げられないくらい平伏して、「こんな私を、イエス様の十字架によって全部、罪を赦してくださった事、神の子どもにしてくださった事を、ただただ感謝します・・・」と言う他はないのです。14節。“しかし私には、私たちの主イエス・キリストの十字架以外に誇りとするものが、決してあってはなりません。”

3.イエス様が誇り
私たちは何も自慢出来るものはない、エッヘンと誇れるものは何もない。正しい人間でもなければ、愛のある人間でもない。むしろ、人を傷つける事の方が多い。でもそんな私を救って下さった、イエス様の十字架の愛、これが私の誇りだ!イエス様にとって、私は十字架にかかってくださる程に、大事に思われている存在なんだ!その事が誇りなのです。

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