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あわれみ深い父

神は、どのような苦しみのときにも、私たちを慰めてくださいます。それで私たちも、自分たちが神から受ける慰めによって、あらゆる苦しみの中にある人たちを慰めることができます。

Ⅱコリント1:4

1.慰め
 私たちの周りに悲しんでいる人、苦しんでいる人がいる時、どう慰めていいのか、どう言葉をかけたらいいか、悩む事がよくあると思います。私はそういう時には、「この人に必要な御言を教えてください」と祈りながら、御言を一つ書きます。人の言葉ではない、神様の言葉ですから、何かを心に語ってくださいます。3節、「あわれみ深い父、あらゆる慰めに満ちた神」。ともすれば私たちは、父なる神様の事を、厳しい恐い神様、とばかり思っているかも知れません。そうではないのです。「神は、どのような苦しみのときにも、私たちを慰めてくださいます。」「どのような苦しみのときにも」、その苦しみの状況の中に、必ず神様からの慰めが与えられるというのです!


2.色んな方法で
 一番の慰めは、御言が心に語られる事です。あのヨブも、苦しみの中で、最後に神様ご自身が語りかけて下さった事で、何より慰められたのでしょう。神様の言葉は不思議な慰めに満ちています。皆さんも勿論、経験があるでしょう。(この「慰める」の意味は日本語以上に、「励まし、勇気づける」という意味。)そして、御言による慰めだけでなく、神様は色んな人を通して慰めて下さったり、また、その人が好きなものを与えて、慰めて下さる事もよくあります。


3.誰かを慰めるため
 しかもそれは「私たち自身が慰められるため」だけでなくて、私たちが神様から慰めて頂いた、その慰めをもって、また苦難の中にある誰かを慰めるためである、というのです!4節。神様の願いはいつもそうです。誰か一人のクリスチャンに恵みを与えられる時、それは同時に、周りの人のためでもある。皆さん一人一人が味わってきた様々な苦しみ、その経験もまさに賜物です。なぜなら、その苦しんだ経験、そして神様に慰められたその経験をもって、同じように苦しんでいる人を慰める事ができる。苦難を通った人にしか出来ない賜物です。5、6節。主の慰めが皆さんに豊かにありますように!そして教会の交わりがますます豊かになりますように!

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