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いつまでも残るもの

いつまでも残るのは 信仰と希望と愛、これら三つです。その中で一番すぐれているのは愛です。

Ⅰコリント13:13

1.聖霊が与えるもの
 いつまでも残るもの「信仰、希望、愛」。これは私たちが、自分の内側から絞り出そうと踏んばるものではありません。そうではなく、信仰も、希望も、愛も、聖霊様によって与えられるもの、御霊の賜物だ、という事です! 12:3。ある解説に、「木に例えるなら、信仰 は根。イエス様という土台に根を降ろす。 希望 は根の上に育つ木の幹。 そして愛 は、その木が結ぶ『実』である」と。


2.よりすぐれた賜物
 コリント教会はいつも言いますように、一致が無かった。賜物は色々あったようですが、教会を一つにするのに一番大事な「愛」が乏しかった。自己主張ばかり。そこでパウロは語り始めました。 12:31“あなたがたは、よりすぐれた賜物を熱心に求めなさい。私は今、はるかにまさる道を示しましょう。”13:1~3。異言の賜物があっても、預言の賜物があっても、聖書の知識に全て通じていても、勿論、信仰も強い、それだけでなく全財産をささげた・・・としても、 自分を誇るだけで、もしそこに「愛」が無いなら、無に等しいと!スゴイ言葉ですね。ドキッとします。自問自答させられます。自分が今している事の「動機」は何か? 「愛」が動機か? それとも自分の思いを通したいだけか?


3.愛は残る
 ところで皆さん、自分には愛があると思いますか? 私は、自分には愛があると思っていました。ところが、自分には「優しさ」ぐらいのものはあったとしても、「愛」と呼べる程のものは乏しいと気づきました。「愛」は、もっと深いもの。特に7、8節が心に留まります。本当の愛はちょっとやそっとで無くならない。忍耐強い、痛み悲しみを耐え忍びながらも、愛することを止めない愛。裏切られても裏切られても、赦して見捨てない、変わらない愛。 イエス様の愛がそうです。自分の中からは「愛」は出て来ない、という事に気づく事は大事です。無いなら求めればいい!信仰も、希望も、愛も、聖霊の賜物、聖霊が与えてくださるもの!終わりの時代は色んなものが壊れたり、流されたり、消え去ったり、一体、何が残るのか? 皆さんが誰かを「愛している」、家族や誰かを愛している、その誰かのためにいつも熱く必死に祈っている、そういう「愛」は神様の前に「残る」のです!

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