この世の知恵と神の知恵
十字架のことばは、滅びる者たちには愚かであっても、救われる私たちには神の力です。
Ⅰコリント1:18
1.人の知恵では
コリントはギリシャの町です。古代ギリシャは学問が盛んでした。ソクラテス、プラトンなどの哲学者も出た。きっと国民全体が「自分たちは知恵がある、賢い」と思っていたでしょう。ギリシャ人は知恵を求める。けれども、人間の知恵によって人は救われない。その証拠にギリシャには罪と偶像が溢れていました。アダムとエバが「知識の木の実」を食べてから6千年。人間は悪い意味でかなり賢くなってしまいました。遺伝子もいじり、インターネットで世界を繋ぎ、宇宙にロケットもどんどん飛ばす。けれどもその人間の知恵と力が、人間を救っているだろうか?むしろコリントのように堕落しているのではありませんか。21節、“この世は自分の知恵によって神を知ることがありませんでした。”
2.神の知恵、神の方法
ところが、神様が備えられた「救いの道」は、ただ信じればいい。神様の知恵、救いの方法を、人間の頭で完全に理解しようなんて無理です。ただ神様が用意して下さった、その救いの道、神の知恵を、信じて受け取ればいいのです!でも「自分は知者だ、賢い」と思っている人はそれを受け入れません。「神は高ぶる者を退け、へりくだる者に恵みを賜う」。「誰でも幼な子のように神の国を受け入れる者でなければ、そこに入る事はできない」。
3.神の前にへりくだる
十字架にはりつけにされたイエス様の姿を見る時に、無力な姿に見える。そこに何の知恵があるかと思う。けれども、そこにこそ、人間がどんなに力を得ても、どんなに知恵を得ても、どんなに豊かになっても、どんなに便利になっても、絶対になし得ない、人の魂を救う、神の力と知恵があるのです!どんな事をしても拭い去る事の出来ない、人間の罪と悪の性質を赦すだけでなく、その人の魂を新しく造りかえて「神の子ども」にする、神の知恵と力!恐らく一番大事なポイントは、その人が神様の前にへりくだるかどうかです。来週はペンテコステですが、聖霊によって、単純に、ストレートに、救い主イエス様を信じる者、そして伝える者として頂きましょう!