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ゴールを見据えて

私は目標がはっきりしないような走り方はしません。空を打つような拳闘もしません。

Ⅰコリント9:26

1.信仰はオリンピック
 東京オリンピックは大変な状況ですが、コリントのあるギリシャはオリンピックの発祥の地です。パウロは私たちの信仰生涯をオリンピックの競技に例えて語っています。どんなスポーツ選手でも、「目標」をハッキリ持っています。パウロは走る競技に例えています。まずクリスチャンは人生のスタートとゴールがハッキリ分かってる、これが何よりです。自分がそもそも何者なのか、どこから来てどこに行くのか、それが分かっていなければ走りようがありません。聖書には創世記から黙示録まで、スタートとゴールがちゃんと書いてありますから、聖書を信じれば、自分の人生のスタートとゴールもハッキリします。


2.どう走るか
 中学や高校の時にマラソン大会がありました。イヤイヤ走らされてる訳ですから、少しでも楽しようと思って途中歩いたり、ダラダラ走ったりする訳ですが、余計にしんどいのです。ところが中にはキビキビ走ってる同級生がいました。自分なりに目標を立て、「何番以内に入るぞ」と。だからダラダラ走らないで、自分なりのペースで頑張って走っている。そしてその結果がちゃんと出るのです。26節。皆さんは、信仰人生というマラソンをどのように走っていますか?あるいは、これからどのように走っていくつもりでしょうか?(若い人も)ゴールを見据え、いつも念頭において、そのゴールまでのペースをどう走るか・・・つまり、天国にゴールインするまでの残りの距離とペースを考えるべきではないでしょうか?


3.賞を得るように
 地上のものは消え去る。この世で宝を蓄えてもしょうがない。けれども天国ではイエス様が一人一人の歩みに応じて賞をくださる。朽ちない冠を!信仰のマラソンにおいては、自分の力を100%出した人、精一杯、神様に従おうとした人は、全員一等賞をもらえます。ちょっと手を抜いた人は2等賞かも知れません。他人との競争ではなく、自分との競争です。それぞれが賞をもらえるように、精一杯の、全力の信仰の走りをしましょう!黙示録22:12、“見よ、わたしはすぐに来る。それぞれの行いに応じて報いるために、わたしは報いを携えて来る。”

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