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モーセ去り、主いましたもう

強くあれ。雄々しくあれ。彼らを恐れてはならない。おののいてはならない。あなたの神、主ご自身があなたとともに進まれるからだ。主はあなたを見放さず、あなた見捨てない。

申命記31:6

1.モーセ、役目を終える
 今朝は申命記の最後の部分です。それはモーセという偉大な預言者の地上の生涯、地上での使命の終わりでもあります。「私は今日、百二十歳だ」とあります様に、神様に召し出された80歳から40年間、民と共に荒野の旅を続け、導いてきた。しかし、ずっとイスラエルの民と一緒にいられる訳ではなく、天国に召される時、その役割が遂に終わる時がやって来たのです。「えっ、もう約束のカナンの地は目の前なのに、一緒に行かれないんですか?」と皆思ったかも知れません。けれどもモーセがカナンの地に入る事を、神様は許可されなかった。というのはモーセがたった一度だけ、神様に完全には従わなかった事があったのです。32章48~52節。


2.モーセは救い主ではない
 どんなに偉大な神の僕でも、人間である以上、完全ではありません。モーセがカナンの地に入れなかった、という事には色んな意味があると思います。モーセは「律法」を代表する人物です。つまり「律法」では、人は神の国に入れない。民が新しい世代になったように、人は新しく生まれ変わらなければ神の国に入れない、という意味もあるでしょう。とにかく、どんなに偉大な預言者でも、神の僕でも、「救い主」にはなれない、
イエス様に成り代わる事はできない、という事を思わさせられます。


3.主いましたもう
 申命記の最後、34:1~12まで読んでみましょう。確かにモーセは大いなる働きをした。けれども、神の民の歴史の中で、その一部分の、一つの期間の役割を果たしたに過ぎません。モーセは天に召され、皆、別れを悲しみました。けれども、その悲しむ期間は終わった。いつまでも悲しんでいてはいけないのです。なぜなら、主ご自身は別れない!神様ご自身、イエス様ご自身がいなくなるわけではない、主は変わらず、ずーっと共にいて下さる訳ですから!「主は決してあなたを見放さず、またあなたを見捨てられないであろう。」(口語訳)私たちは、本当にいつも見上げていなければいけないのは、イエス様ご自身です!

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