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主のまなざしがいつも

そこは、あなたの神、主が求められる地で、年の初めから年の終わりまで、あなたの神、主が絶えずその上に目をとどめておられる地である。

申命記11:12

1.新年度に向かって
 先週は短い時間でしたが教会総会を行いました。昨年の恵みを振り返り、新年度も先頭に立たれるイエス様を見上げて前進しましょう、という節目の時でした。しかし始まりました2021年も、この世を見るならばますます混乱と不安が増しています。一つの問題が解決されないうちに、また大きな問題が起こる。「神は人間を見放されたのか?」と思うかも知れません。しかし、実はそうではありません。


2.年の始めから終わりまで
 以前、この箇所からメッセージしたのは1995年でした。その年は1月に阪神大震災が起き、3月にオウム真理教の地下鉄サリン事件が起きました。その他にも政治も経済も国際情勢も危うい、本当に不安と恐れの年でした。けれども一年を振り返りながらカレンダーを見ていた時、ある事に気付きました。それは、その年の1月1日は日曜日で始まり、12月31日も日曜日だったのです。主の日で始まり、主の日で終わっている。その時、この聖句が心に留まりました、“その地は、あなたの神、主が顧みられる所で、年の始めから年の終りまで、あなたの神、主の目が常にその上にある。”(口語訳)大変な激動の年であったその年、「天に見放されたのか・・・」と思うような年だったけれども、その一年間の上にも神様の目が注がれていた!「見放されていた」のではなく、「見守られていた」のです!


3.主のまなざしがいつも
 そしてこの聖句は特に、これからカナンの地に入る神の民に語られた言葉です。私たちに当てはめるなら、イエス様を信じ、心に神の国を持っている者の上には、年の始めから年の終わりまで、あなたの神、主の目が常にその人の上にあるのです!幼い子どもの歩みを後ろから見守る、親の目のような神様の目に見守られている事を知っているなら、激動の世の中にあっても、その心には安心があります。事実、私たちは昨年も年の初めから年の終わりまで守られてきました。ドキドキするような中を通って来たかも知れませんが、結局、神様はあらゆる事から私たちを守って下さった。新年度も、私たちがイエス様を信じ続けるなら、私たちの上に、主の見守りと平安があるでしょう!

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