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主を待ち望む者は

しかし、主を待ち望む者は新しく力を得、鷲のように、翼を広げて上ることができる。走っても力衰えず、歩いても疲れない。

イザヤ40:31

1.父と子
 アドベント第二週となりました。今日もイザヤ書の有名な箇所です。以前、私が東京教会の前の建物にいました時、ちょっとした修理を父に頼みました。父は元々が大工ですし、その後は電気工事の職人になりましたので修理はお手の物です。でも本当は私としては、そのぐらいの事で父に頼みたくなかったのです。私だって多少の事なら出来ます。とは言え、やはり自分では無理な事がある訳です。素人の出来る範囲と、プロの出来る事は違います。特に電気の事は素人がしてはいけないそうです。それで結局、頼む事になり、そうしたらスグに出来ました。


2.父なる神様に
 私たちも「父なる神様」に対して、そういう事がよくあるんではないでしょうか。「大丈夫です、自分で出来ますから、自分で頑張りますから。神様に頼らなくても、イエス様にあまり祈らなくても、なんとかしますからおかまいなく」と。けれども、忘れないで頂きたい!人間は何歳になっても、父なる神様の前には子どもなのです!たとえ百歳になろうが、体は大きくなり、長い人生経験と知識を積んだとしても、神様の前にはいつまでも赤子です!だから遠慮する事なく、神様により頼めばいいんですね。「私は大丈夫です」と言う所に高慢があります。


3.主を待ち望む者は
 「若者も疲れて力尽き、若い男たちも、つまづき倒れる。」己の限界を知る事は大事です。どんなに強く、賢いように思っても、人は人であって、神ではないという事、そして神にはなれない、という事です!神様は私たちに、人間の限界を教えようとされます。そして遜って全能の神様により頼ませようとなさいます。自分で自分の人生を何とかしようとするのでなく、主により頼む事、明け渡す事、お任せする事が重要です。そのような人に、神様はご自分の力を、惜しみなく与えられます。ワシは翼をバタバタさせるというより、風の力にのって飛びます。人生には、自分の力を超えた事、自分にはどうしようも出来ない事がたくさあるでしょう。それを自分でなんとかしよう、なんとかなるだろうと思わないで、主に「助けてください。私には出来ません。お願いします。お任せしますっ」と遜って祈り、主を待ち望む事です!人は出来ない事が、父なる神様には出来るからです!

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