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信仰診断

あなたがたは、信仰に生きているかどうか、自分自身を試し、吟味しなさい。それとも、あなたがたは自分自身のことを、自分のうちにイエス・キリストがおられることを、自覚していないのですか。

Ⅱコリント13:5

1.信仰診断
 今年はどんな一年だったでしょうか。「喜びと感謝の年だった」という人もあれば、「試練の年だった」という人も多いかも知れません。なぜ私たちの人生に試練が与えられるのか?それは信仰を持たせるため、また信仰を試し、成長させるため。題に<信仰診断>と付けました。健康診断で体を検査するように、信仰が健康かどうか、弱い部分や不健全な部分はないかと神様は診断される。人生に試練が与えられる時、嵐が起きる時、イザという時、私たちの信仰がどれ程か試されます。


2.自分を吟味
 今日はコリントの手紙の最後の部分です。コリントの一部の人たちはパウロを「本当の使徒と言えるのか」と批判していました。しかしパウロは(ひとの事より)「果たして信仰があるかどうか、自分を反省し、自分を吟味するがよい。」(口語訳)と言います。それぞれ自分自身の信仰について、今年の歩みを考えてみましょう。例えば私は牧師ですから、人一倍祈ります。けれども果たしてどれくらい信頼して祈っているだろうか?反省させられます。皆さんはどうですか?洗礼を受けているからクリスチャンという事ではない。実質的に信仰をもってる者、持ち続けている者がクリスチャン。ペーパードライバーでは運転できません。信仰は、使わなければだんだん無くなっていく、薄れていく、消えていってしまいます。電池の切れた懐中電灯の様に、明かりがつかないのでは意味が無い。だから自分には信仰があるかどうか、形だけになっていないか、吟味する必要がある。


3.主と共に生きる
 5節。「それとも、あなたがたは・・・自分のうちにイエス・キリストがおられることを、自覚していないのですか。」結局、クリスチャンって何かというと、うちにおられるイエス様と一緒に生きてるか、歩んでるかって事です!でもパウロはコリントの人たちの信仰がまだ死んだ訳ではない、と信じています。“あなたがたが完全な者になること、このことも私たちは祈っています。”これはパウロの願いというより、イエス様の私たちに対する願いでしょう。今年の自分の信仰を吟味しつつ、来年もうちにおられる主と共に信仰をもって歩みましょう!

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